たいじ エックス。 沢田泰司

沢田泰司(X JAPAN

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Xジャパンのタイジ脱退理由が衝撃的だった? では、まずはTAIJI(タイジ)の脱退理由について、 これについて、YOSHIKIの自伝にTAIJIの脱退理由が記載されており、 「Xに加入してから常にもめ事を起こすTAIJIをHIDEは許さないと言った事があった。 」 「YOSHIKIがTAIJIをクビにした理由はTAIJIがYOSHIKIと交わした誓いを破ったから」 と書かれています。 で、私たちとして気になるのは、TAIJIがYOSHIKIと交わした誓いって何だったんですか?って話ですよね。 その肝心の部分が自伝でも書かれていませんし、テレビで放映されることもありません・・・ 一体どんな約束(誓い)だったのでしょうか? これは、 Xジャパンというロックバンドが設立された拝見を辿れば、ちょっと想像できるかもしれません。 というのも、 もともとXジャパンはインディーズで活動しており、メジャーデビューするにあたって必要だった軍資金(1000万円)を、 ヨシキの 母親から調達していました。 ヨシキが母親に自らの夢を伝えて、人生の全てを捧げて一枚のアルバムを作りました。 そこから、Xの伝説が始まったのです。 で、ヨシキは不良だった学生の頃から母親にあることを注意されていました。 薬物には手を出さない。 これは個人的な意見も含まれますが、 常にもめ事を起こすというのはあくまで表面的なもので、実際は薬物に手をそめていた、これが真実だったのではないでしょうか。 だから、ヨシキも公の場で真実を語れない・・・母親の約束を破ったとも言えますよね? 薬をやめられなかったTAIJIだけが追い出されてしまう・・・という結末ですね。 麻薬説はTAIJI脱退の一番の有力説だと言われていることは抑えつつ、その他の人間関係なども複合的に絡んでいた可能性が高いのは押さえておきましょう。 スポンサーリンク TAIJIのプロフィール! では、ここでTAIJIの経歴をまとめましたのでチェックしていきましょう。 氏名:沢田 泰司(さわだ たいじ)• 愛称:たいちゃん• 生年月日:1966年7月12日(45歳没)• 出身地:千葉県市川市• 身長:173cm• 職業:ミュージシャン• 担当:ベース、ギター 本名は沢田泰司ですが、XジャパンなどではTAIJIで活動を行っていました。 小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3か月後のクラス会で初ステージ。 曲は「禁じられた遊び」(正確には映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」)」だったようです。 いったん非行に走り・・・(両親の離婚や母親の再婚が関係) 千葉明徳高等学校に進学。 エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになります。 その後、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入します(1986年)。 本来はXに加入するつもりはなかったTAIJIですが、 YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、自分が推薦するギタリストと交代させることを条件にXに加入します。 TAIJIの死因が謎だらけすぎる・・・ ここまでの話だけでも濃ゆすぎますが、Xの伝説はこれに留まりません。 なんと・・・2011年にTAIJIが自殺したのです。 45歳の若さでした。 では、彼の自殺の経緯をたどってみますが、 仕事のためマネージャーとともに乗ったデルタ航空の機内で、CAに暴力を振るったとして逮捕。 事態が急変したのは2011年7月14日。報道によると、保留中の独居房内で錯乱状態となり、ベッドシーツで首吊り自殺を図ったというものだった。 が、しかし、 この自殺騒動には辻褄が合わないキーワードが隠されています。 首吊り自殺したと言われるTAIJIの遺体に首を吊ったら必ずできるうっ血の痕は確認できず、TAIJIの口元に粘着テープが貼り付けられたような痕が残っていた。 検死の結果は明らかにされず。 遺体は極秘にサイパンから日本に移され、関係者は勿論、婚約者である赤塚さんにも情報は一切せず、極秘に密葬。 つまり、 公には自殺と括られていた事件ですが、なんと 他殺説が浮上しているんです。 5年の年月を経てようやく外務省が問題を認識。 ちょっと遅いような気はしますが、この件については皆が忘れた頃に衝撃の事実が告げられる可能性は高いので、まだまだXの話題はつきそうにないですね・・・ 以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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TAIJIがXを脱退した理由は薬でクビ!?真実は??YOSHIKIやHIDEとの関係は??

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メジャーデビューからわずか2年後の1991年に脱退した時には、バンドが解散危機に陥ったほどです。 TAIJIは、X加入当初からリーダーのドラムYOSHIKIとの音楽性やファッション性の違いにより言い争いが絶えなかったといいます。 脱退理由についても同様に伝えられていましたが、TAIJIの自伝には、バンド内の収入格差とYOSHIKIのドラムプレイに文句を言ったため、YOSHIKIとの間の溝が決定的になったからと記されています。 一方で、YOSHIKIの自伝には、「TAIJIが自分との約束を破ったから」と書かれていました。 YOSHIKIが言う約束の反故とは、TAIJIがXとして活動中に、かねてから憧れていたヘヴィメタルバンドLOUDNESSから声をかけられ、セッションオーディションに参加したことという噂。 YOSHIKIが、メンバーが他のミュージシャンと関わりを持つことを、あまり好んでいなかったためとされています。 どちらの言い分が本当なのかは不明ですが、当時の2人が不仲だったことは疑う余地がなさそうです。 TAIJIがホームレスに転落!HIDEの葬儀に現れた時の変わり果てた姿にYOSHIKIは TAIJIは、Xを離れた直後からLOUDNESSのベーシストとして活動を始めましたが、1年後には契約上のトラブルで脱退しています。 その後、凄腕アーティストを揃えてハードロックバンドD. Rを結成するも、すぐに活動休止に陥ってしまいました。 経済的に困窮したTAIJIは、当時の妻とも離婚することになり、約2年にわたってホームレス生活を送ることに。 喧嘩をして角材で殴られ前歯を折るなど、転落の一途を辿っていきます。 1998年、XJAPANとして再始動していた古巣を、ギタリストHIDEの死という突然の不幸が襲いました。 ボロボロの状態にありながら、葬儀に駆け付けたTAIJIを見て、かつての天敵YOSHIKIも胸が痛んだのでしょう。 前歯の治療費として200万円をTAIJIに即座に差出し、音楽活動の再開を支援しています。 2010年には、「XJAPAN WORLD TOUR」の横浜公演にTAIJIが緊急参戦。 脱退以来18年ぶりにYOSHIKIと共演を果たしました。 かつての確執を超え、2人が肩を組む姿には、多くのファンが感涙したものです。 TAIJIの死因の真相!ベースのテクニックが天才的だった! TAIJIにサイパンで何があったのか?死因の謎が論争を呼ぶ TAIJIの訃報が飛び込んできたのは、YOSHIKIと18年ぶりの共演を果たした翌年の2011年7月のことでした。 仕事でサイパンに向かう飛行機の中で暴行事件を起こし、サイパン当局で逮捕拘留。 それから3日後に拘置所で首つり自殺を図り、7月17日に病院で死亡が確認されたと伝えられています。 TAIJIは、YOSHIKIの援助を受けて音楽活動を再開してからも、バイク事故、持病のてんかんと脳梗塞の悪化など、たび重なる入院で満身創痍でした。 金欠状態も続いており、自殺の原因として思い当たる節はいくらでも挙げられます。 しかし、当時の内縁の妻だった女性が、TAIJIの親族とサイパンで遺体確認をしたところ、首吊りの痕らしきものは見当たらず、拷問を受けたかのような傷が多数見受けられたという話も。 司法解剖も行われなかったそうで、拘置所の中で何があったのか、TAIJIの死が本当に首吊り自殺だったのかどうかは、論争が絶えません。 TAIJIは右手中指を切断していた!あのベーステクニックは努力の賜物だった! TAIJIはよく「日本最高のベーシスト」「ベースラインアレンジの天才」と称されます。 アルペジオによる独特の演出や、タッピングやスラップ奏法といった派手なベースソロに憧れて、7色に光るフェニックスをあしらったTAIJIモデルベースを手にしたベースキッズは相当数いたはずです。 Xではベース音がドラムの前に出ることは珍しいものですが、「WEEK END」ではそのスピードにあるまじき豊かでメロディアスなベースラインを、じっくり堪能できます。 人の好みによりけりで賛否両論はあるようですが、TAIJIを天才とする所以は他にもありました。 実はTAIJIは2歳の時に、実家が経営する工場の機械による事故で、右手中指の第一関節から上を失っています。 そのためピックを使用しない指弾きの場合、通常は人差し指と隣接する中指で弦をはじくのが最も安定するのですが、TAIJIは人差し指と可動性の弱い薬指を使用。 ライトハンドタッピングを行う時も、当然のことながら弦を抑える指が1本足りない状態です。 バンドのボトムを支えるベースは、不安定な演奏はご法度ですが、TAIJIは人一倍の血がにじむような練習をして、そのテクニックを手に入れたといいます。 努力に勝る天才はなしとはよく言ったものです。 TAIJIの在りし日に涙!ドキュメンタリー映画「WE ARE X」 TAIJI、HIDEの死を乗り越え続くX JAPANの歴史 TAIJIの死から時が流れ、振り返ればX改めX JAPANはHIDEとTAIJIの死、TOSHIの洗脳騒動と日本音楽史上稀に見る壮絶な歴史を刻んできました。 アジアの単独アーティストでは最高記録となる1万5000人を動員するなど、栄光の道を歩み続けています。 2018年にはYOSHIKIがドラム復帰を果たし、X JAPANは再び大きな注目を集めました。 アメリカの野外ライブフェス「Coachella(コーチェラ)2018」では2日間、トリを担当。 「X」を演奏した時にはホログラムでHIDEとTAIJIが現れるという粋な演出がなされました。 2020年5月、YOSHIKIが自粛期間中の企画として英語のレッスンを公開していましたが「X JAPAN の新しいアルバムは、 いつになったらリリースされるのでしょう」の英文を選ぶという問いを出題して話題になりました。 新アルバムという歴史が刻まれる日がいつになるかはわかりませんが、YOSHIKIの意識の中に存在しているということに期待が高まった人も多かったのではないでしょうか。 TAIJI の在りし日がわかるドキュメンタリー映画が2017年に制作されていた X JAPANの軌跡を描いたドキュメンタリー映画「WE ARE X」が、2016年にハリウッドで制作され、2017年3月3日に日本公開されました。 かつて、XにはYOSHIKIとTAIJIという2人の天才がいると言われており、TAIJIがXを脱退せずにいたら後の運命は大きく違った可能性があります。 しかし2人が相容れない性質だったからこそ、生まれた音楽もあったに違いありません。 映画の公開と同時にリリースされたサウンドトラック「WE ARE X」には、メジャーデビューアルバム「BLUE BLOOD」にも収録されているTAIJIとHIDEが作曲した「Xclamation」など、14曲のスタジオ音源などが収められていました。 「WE ARE X」は当時に想いを馳せると、ファンにとって涙をこらえきれない作品だったのではないでしょうか。 X脱退後のTAIJIは、壮絶すぎる転落人生を送りました。 しかし、そんな中でも最期までベーシストであり続けたことは、X JAPANのメンバーをはじめ、ファンが誇るべき事実と言えるでしょう。 どれだけ時間が経ってもX JAPANという偉大なグループの礎を築いたTAIJIというベーシストが生きた証は確かに人々の心に刻まれているのです。

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沢田泰司(X JAPAN

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オフィスT• T-Fenix 2006 - 2007• 2011 共同作業者 旧 Dirty Trash Road 新D. 通称は TAIJI。 X(現・)を経てやなどで活動した。 身長173cm、体重55kg、血液型A型 長年B型と思っていたが、1991年渡米中に受けた検査によりA型だと判明した。 尚、TAIJIの死後、と同様正式メンバーと数えられているような形式がX JAPANオフィシャルサイト等でとられている。 愛称は「 たいちゃん」。 概要 [ ] 元〜〜〜〜、、TSP の・・・。 「」などを唄うは実妹である。 のみならずもプレイし、X在籍時からによる楽曲も数多く残している。 活動の詳細は後述する。 芸名については「Ray」(ディメンシア)、「TAIJI」(X、Cloud Nine)、「沢田泰司」(LOUDNESS加入以降)、「沢田大司(読みは本名と同じ)」。 晩年は基本的にX時代の「TAIJI」または本名である「沢田泰司」を使用していた。 Xメジャーデビュー時に結婚。 一男一女をもうけたが、後に離婚。 は「ガソリン・カウボーイ」。 元々は沢田の個人ファンクラブだったが、後にD. Rのファンクラブとしても活動し始めた。 後に解散。 最後の活動として、が韓国にて海外公演を行う(現在もHEAVENSは活動中)。 趣味・特技のひとつにがあり、プロ級の腕前を持っていた。 来歴 [ ]• 1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。 3人の次男で、兄と妹がおり、妹は先述の通り、歌手の。 2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。 、小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3か月後のクラス会で初ステージ。 曲は「」(正確には映画「」のテーマソング「」)」だった。 -、中学生になると家庭の事情(両親が離婚し母親が再婚した)から非行に走る。 、に進学して、を始めロックにのめり込むようになる。 同時にバンドも組み、や、、、、LOUDNESS、などのコピーにいそしむ。 プロのミュージシャンになるため僅か一年で中退。 この時、「TRASH トラッシュ」というバンドを結成してギターを担当する。 同時期メンバーにのが在籍していた。 沢田の作ったオリジナル曲でコンテストを勝ち抜いた。 またベスト・ギタリスト賞も受賞。 、友人のバンド「」(ディメンシア)でベースをプレイしたことがきっかけで、ベーシストへ転向。 ディメンシア時代はRayと名乗っていた。 その後、ディメンシア脱退後は「」(プローラー)に加入するも、リーダーの青木セイブンと反りが合わず、ライブを一度も行うことなく脱退。 また家も勘当され、一時期渋谷のラブホテルで住み込みのアルバイトをして暮らしていた。 、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入。 当時沢田はXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、の熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、沢田の推薦するギタリストと交代させることを条件にXに加入することになったと語っている。 その後一度脱退しているが、に再加入している。 この時のXは、インディーズの頃からメンバーに課せられる出費が大きく、とてもアルバイトでは追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまで費用を工面していた。 、Xメジャーデビュー。 両親とは高校中退を境に絶縁状態となっていたが、Xのメジャーデビュー後、ライブに招待し和解した。 頃からとしての契約になる。 、X脱退。 正式発表は「脱退」という形であったが、実際にはYOSHIKIによる。 ラストステージはの3days。 Xからの公式な発表では音楽性とファッションの違いとされていたが、沢田自身は自伝の中で「自分がバンド内での収入格差に文句を言ったのとYOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になり、彼との間に軋轢が生じたからではないか」と述べている。 一方、YOSHIKIは自伝『佳樹』の中で「TAIJIのベースはXに必要だったが、TAIJIが自分との約束をいとも簡単に破ったこと」を原因として挙げている。 4月、親交のあったに前任ベーシストの推薦で加入。 芸名をTAIJIから本名の沢田泰司に改める。 11月、LOUDNESS脱退。 この年LOUDNESSは契約上のトラブルで解散状態になっていた。 その後リーダーのよりLOUDNESS再始動の呼びかけがあったものの、解散状態であった時期にLOUDNESSの活動を諦め、ソロアルバムの制作(後のD. R)を決めていたためにタイミング的に再集結を辞退し、脱退せざるを得なかった。 再始動を呼び掛けたリーダーの樋口自身もその直後に脱退。 以後高崎以外のオリジナルメンバーを全て失ったLOUDNESSは2000年のオリジナルメンバー復活まで『プロジェクト』に近い形で活動を行うことになる。 7月、自身がリーダーを務めるDirty Trash Roadを結成。 バンドと同名のアルバム「Dirty Trash Road」とそのアレンジ違いの「Dirty Trash Road〜Acoustic」を二枚同時発売する。 、芸名を本名から 沢田大司に改名、またバンド名の略称であったD. Rを正式な名称とした。 Rの2ndアルバム「Daring Tribal Roar」をリリース。 またNIGHT HAWKSのの呼びかけでのSgt. Luke篁III世参謀(現:の)、〜のらと共にKingsを結成。 アルバムをリリースする。 頃、D. R事実上の活動休止。 ほぼ同時期に経済的な理由で妻とは離婚。 以降約2年に渡って生活を送る。 この頃は公園や倉庫などに寝泊りしており、喧嘩の際に角材でを折られるなどの被害に遭う。 、HIDEの訃報の際には自身の生活もままならない中で葬儀に駆けつけた。 その際、ケンカで折られた歯をYOSHIKIに見られ、後日YOSHIKIから200万円ほどの金を渡されたとのこと。 HIDEの葬儀をきっかけに久々に旧友たちと再会後、彼らの支援によって音楽活動を再開する。 この頃に芸名を本名の 沢田泰司に再び戻す。 やがてを結成するも、Cloud Nineでは出来ないアコースティックな音楽も志向しているという理由で間もなく脱退。 その後音風を結成してギターとベース・ギターを兼任で在籍。 音風には、として実妹のも在籍。 、を起こし足の靭帯を切断するほどの大怪我を負う。 手術費用工面のため、自身のベースをに出品。 、にMASAYOの脱退が音風公式サイトで発表された。 また、同年7月30日より再びD. Rの活動を再開、個人としては初となるオフィシャルサイトがオープン。 そして、シルバーアクセサリーブランド「DTROCKERS」を立ち上げる。 6月13日、HOLIDAY SHINJUKUにて開催された元のMARRYの追悼GIG「6. 14 Memorial LIVE TOKYO」にゲスト出演。 の新谷の呼びかけによるものであることをブログで明かしている。 2007年10月、Cloud Nineより、ベーシストのが脱退したため、Cloud Nineに期間限定で電撃復帰。 期間限定とはいつまでなのかは詳しいリリースがなく、定かではなかった。 その後、D. Rについての更新も途絶えた。 7月公開の映画「」で音楽監督を務める。 自身のブログではへ楽曲提供を行うことも発表された。 2008年9月、持病の・が悪化、左足頭壊死による人工股関節が外れ緊急手術。 歩行困難となり、12月2日に事故で胸と喉を強打し入院したことが自身のブログ上でスタッフによって明らかにされた。 2009年7月、元COLORのボーカリストらとともにバンド「The Killing Red Addiction TKRA 」を結成。 のという、ロックバンドの聖地的なライブハウスでお披露目ライブを開催した。 2009年11月、2007年以降活動が停滞していたD. R(Dirty Trash Road、以下旧D. R)の解散を発表。 理由は沢田によると「スタッフのD. R収益の横領による精神的ダメージ」であるとしている。 この件について沢田によれば「D. R関連の一切の利益がスタッフにのみ渡っており、メンバーには一円も還元されていない」という。 また、メンバー間の音楽的な相違が見られたことも関係していると語られた。 同時に、沢田と黒田により同名のバンド「D. R」(以下新D. R)の結成が発表された。 Rは「Death to Rive」の略と説明されている。 Rのメンバーは沢田と黒田を除き、不参加。 それ以外のメンバーとスタッフを公募していた。 2010年、TS GLASTON COMPANYを設立。 2010年1月、自身のバンドであるTAIJI with HEAVEN'Sを本格始動。 TAIJI with HEAVEN'S名義でファーストミニアルバムをリリース。 2010年4月、のShu、TAIJI with HEAVENSのDAI、CRAZY QUARTER MILEのHINAとともに3バンドの合体プロジェクト「TS PROJECT(TSP)」を始動。 ボーカルは10月にDAIからC. TSPは活動開始以降精力的にライブ活動を行っていた。 2010年7月、8月14,15日にで開催される「」に緊急参戦が決定したとメディアで報道された。 報道通り沢田は14、15の両日に当時と同じTAIJI名義にて「」を演奏し、1992年の東京ドーム3days,「」以来約18年ぶりに旧友であるX JAPANのメンバーと共演。 ライヴ後のインタビューでYOSHIKIは「またTAIJIに来てもらうこともあるかも」という発言をしていた。 2011年2月、TSPの初音源『Rest In Peace』を誌の付録として発表。 2011年に、として韓国のFrontman-groupと契約し、韓国内での活動を開始。 TOKIYAがギターにゲスト参加、RYUTAROが脱退し、幅広い楽曲かつ多彩なアレンジを目指すべくツインギタースタイルに転向。 5人目のメンバーHALを加えてLIVEを予定していたが、東日本大震災の影響で中止となる。 2011年7月17日、サイパン島で死去。 享年45歳。 死去 [ ] 2011年、からに向かう航空機内で、当時の女性マネージャーと騒動を起こし、窓や座席を叩いたり蹴ったりしたとして逮捕された。 しかし当時は一般女性乗客への暴行として報道された。 拘束中にベッドのシーツで首を吊ってを図ったとされ、ので治療を受けていたが、になっていることが同月15日に報じられ 、状態に陥ったことから、婚約者と家族が現地入りし対面した後、家族の同意を得てなど機器が外され、同月17日に死去した。 45歳没。 なお、7月17日に放送予定であったTBS系『』は出演シーンをカットされて放送された。 沢田の死について、X JAPANのメンバー5人(、、、、) 、LOUDNESSから3人(、、) 、TSP(SHU、TAZZ、HINA)から3人 、D. Rから5人(、、、、清水賢治) それぞれ沢田と共に活動したバンドメンバーらが追悼のコメントを発表した。 沢田の死にはいくつかの疑惑があるとされ 、死後にが不審死事件の及び再に関するを行っている。 死後はHIDE同様に、X JAPANのメンバーとしてクレジットされるようになる。 プレイスタイル [ ] ベーシストとして [ ]• キャリアのほとんどのジャンルがだが、固定観念に縛られない幅広いアプローチを得意とする。 また、バンドの支えであるベースが乱れていてはバンド自体が成り立たないということで、自分は誰よりも練習していたと語っている。 、との2本で弾く(とも。 ただし、人差し指と中指を用いる一般的なやり方ではなく、沢田は人差し指と薬指の2本を使うという変則的なスタイル。 これは、幼少時に負った怪我が原因だと上で本人が語っている)、右手の親指で弦を叩くように弾く(チョッパー)が中心。 ベースソロには、、または両手(ボスハンド奏法)、スラップをふんだんに使ったテクニカルなソロを展開している。 一般的なを中心に、や、更にはベースとギターのダブルネックも使う。 彼のプレイスタイルを、滅多にミュージシャンを褒めないことで有名なLOUDNESSの樋口宗孝が、で叩いたドラミングに合わせて沢田が弾いたベース・ラインを絶賛したり、また、樋口がLOUDNESSを脱退した直後にも沢田に「泰司とはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と声を掛けたりしていた。 また、ふとしたことから、沢田とステージに立つ機会があったにも「光っているベーシストに今まで何人も会ったけど、泰司は僕の探しているドラゴンボールの1つのようなベーシストだ」と絶賛されている。 また、ソロ・アルバムのレコーディングでベースを弾いているHIDEも「結構ね、影響されてるベーシストってTAIJIだったりするんですよね。 あの人は元々ギタリストだったから、かゆいところに手が届くフレーズを弾いたりするんですよ。 それにすごい影響されてるかな?」とコメントを残している。 X在籍時には、ライトハンドタッピングやスラップ奏法(チョッパー)によるベースを導入したり、によって独特の演出を施したりしている。 また、「」レコーディングで、LAに渡ったことも一つの転機を生んでおり、渡米 レコーディング 前は「()かかTAIJIかと言わせる」とテクニカルの追求を思わせる発言をしていたが、「」では「Desperate Angel」に代表されるような曲全体のノリやウネリを重視したベースプレイに重点が置かれ、帰国後を始め様々なインタビューにおいて「グルーヴ」という単語を連発している。 また、「」のバンドスコア中においても、好きなベーシスト、ベーシストに勧める楽曲、共に今まで余り言及しなかったの名を挙げている。 LOUDNESS在籍時には、ギターとのプレイによる重厚なを作り出すことに徹底している。 高崎晃との高速におけるユニゾンはもちろん、「」と呼ばれるテクニックまで揃える。 そして各所で盛り込まれる流麗なや、時代のLOUDNESSには見られなかったスラップ奏法によるベースソロをフィーチャーしている。 音風では、他にベーシストが在籍していたこともあって、沢田本人がベースをプレイする機会は少なかったが、ライヴでは沢田のベースソロ・コーナーが設けられており、を多用したテクニカルなベースソロも披露した。 ギタリストとして [ ]• X在籍時の楽曲「VOICELESS SCREAMING」(収録)のギターは沢田自らがプレイしているが、HIDEが「難しくて弾けない」と舌を巻いている。 LOUDNESS加入時にギターの腕を披露する機会が有り、その実力は高崎晃をも唸らせたという。 また、HIDEは、ソロ・デビュー曲「」のギターソロのタッピングは「TAIJIに教えてもらった」と語っている。 音風では、アコースティックギターのみならずもプレイしている。 使用機材 [ ] 使用ベース・ギター [ ] ブランド モデル WB-80 Xのインディーズ時代に使用していたベース。 オリジナルは社製。 TAIJIがディメンシアに加入したとき、友人から譲り受けたものらしい。 TAIJIの後任のもFERNANDESのワーロックタイプを使用してたが、沢田は"FERNANDES"名義の既製品モデルでHEATHは"Burny"名義のシグネイチャーモデルである。 キラー KB-IMPULSS proto type "インパルス・プロトタイプ" のベースを使い始めたころに使われていたベース。 カラーはパープルで当初の頃に使用されていたインパルスとは若干形状が異なる。 キラー KB-IMPULSS Black Rose "インパルス・ブラックローズ" X時代初期に愛用されていたベース。 こちらはショートスケールとなっている。 通常スケールが短くなると音の質が落ちると言われているが、それでも沢田がこのベースを使用しつづけたのは弾きやすかったからだとされている。 キラー KB-IMPULSS "インパルス" X時代初期〜中期に愛用していたベース。 2タイプあり、24フレット(パープル)と26フレット(レッド)がある。 ミディアムスケールでテクニカルなプレイをサポートしている。 なお、26フレットの方は「ROSE OF PAIN」中盤のライトハンドをするために通常のモデルでは困難と判断した沢田がキラーに作らせている。 「Jealousy」のレコーディングの際にアメリカで手に入れた71年製のベース。 同じく「Jealousy」のレコーディングの際に手に入れたベース。 LOUDNESSのレコーディングでも使用し、X時代のライブではやクリミナルが登場するまでライブで使っていたこともある。 キラー KB-DESPERADO "デスペラード" X時代中期とクラウド・ナインにおいて使われていたベース。 のと同じ構造らしい。 R時にはレコーディングにも使用されていた。 歪んだ荒々しいサウンドが特徴。 KB-CRIMINAL "クリミナル" X時代から現在に至るまで七色に光るフェニックスが特徴の沢田が愛用しているベース。 「ブレイスホール」と呼ばれる7つのダクトが通っており、これによって高音と中音のミックスがよくなるという。 なお、シグネイチャーモデルには当初は本人仕様の証として出荷前に沢田本人が手にとった上でヘッド裏にサインを記していたが、1995年からによる印刷となっている。 ピックアップはがマウントされている。 キラー KB-CRIMINAL camouflage "クリミナル・カムフラージュ" LOUDNESS時代に一時期使用していたベース。 クリミナルの迷彩バージョン。 最初はフレッテッドであったが、後にフレットレスに改造してある。 フェンダー ジャズベース フレットレス 元は有名なミュージシャンが弾いていたらしい。 キラー KB-CRIMINAL twinJB "クリミナルベース・ツインJB" D. R時代からのメインベース。 クリミナルの2号機で特徴としてはジャズベース用のシングルのリアピックアップが2つ搭載され、ハムバッカーとなっておりボリュームノブをプルするとリアピックアップがタップされシングルコイルになる。 当初はセイモア・ダンカンをマウントされていたが、2006年にはを搭載、リアは1シングルになった。 スラップがやり易いようにピックガードを取り付けたり、指弾きがやり易いようにフィンガーレストを取り付けている。 キラー Killer W-NECK "ヴォルチャーウィング" D. Rの「APOCAL YPSE」という曲で使用されるギターとベースが一体化したモデル。 特注のため市販はされていない。 キラー KB-CRIMINAL Pro "クリミナル・プロ" 音風時代のクリミナルのマイナーチェンジバージョンで2010年現在のメインベース。 主な違いはこれまでのクリミナルはパッシブ・タイプのピックアップだが、ベース本体にプリ・アンプを内蔵させており、アクティブ・タイプのピックアップになっている。 カラーリングはフェニックスとD. Rの再開に伴って沢田の元へ届けられた3トーンサンバーストカラーがある。 ピックアップについては最初セイモア・ダンカンとだったが沢田のCLOUD NINE復帰時にはにチェンジ。 現在はEMGになっている。 キラー KB-VULTURE FRETLESS "ヴォルチャー" のベースモデルとして有名だが、キラーのラインナップに加えられたのは1995年。 当時はまだまだ調整中でレコーディングやライブには未使用だった。 キラー Killer Proto Type 音風のライブで使用されたギター。 外見はに似ている。 Ovation お気に入りのギター。 キラー KG-YOKE ダブルカッタウエィのギター。 ドロップDチューニング用にエクストラ・ロングスケールとなっている。 かつて沢田泰司オフィシャルサイトで流れていたギターサウンドは全てこの音でされている。 使用アンプ [ ]• X 「Jealousy」時 Ampeg SVT ベースアンプ Ampeg SVT-II ベースアンプ Roland DEP-5 マルチ・エフェクター ROCKTRON 300A コンプレッサー KORG DT-1 TUNER チューナー EX-Pro WIRELESS ワイヤレス・システム Ampeg 810E SP キャビネット• X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起~世界に向かって~時 GALLIEN-KRUEGER Fusion550 アンプ ROGER MAYER STONE X ファズ BOSS CE-3 コンプレッション・サスティナー AMPEG キャビネット バンド歴 [ ]• TRASH• DEMENTIA• PROWLER• X(1985年)• DEAD WIRE• X(1986年~1992年)• LOUDNESS (1992年~1993年11月)• R(1994年~1996年)• KINGS(1995年)• CLOUD NINE (2000年~2001年4月)• 音風(2003年~2006年)• R(2007年)• TAIJI WITH HEAVEN'S(2006年~)• THE KILLING RED ADDICTION(2009年~)• TSP(2010年~)• X JAPAN 2011年〜 参加作品 [ ] 発売日 規格・形態 タイトル 名義 レーベル 1985年7月 Dementia Live! R Polydor アルバム DARING TRIBAL ROAR D. R Polydor 10月25日 シングル(8cm CD) MISTY EYES Kings Polydor 11月1日 アルバム Kings Kings Polydor 1996年8月1日 DRIVE TO REVOLUTION D. R インディーズ(会場発売) 2008年 2月 オムニバスアルバム HarD'n'HeavY RELIGION 2 TSP ほか参加 We ROCK Vol. 3 付録 7月23日 映画 Attitude Original Sound Track 音楽監督:TAIJI 2009年12月26日 ミニアルバム TAIJI with HEAVEN'S TS GLASTON 2009年12月26日会場発売 2010年1月通販開始 2010年7月14日 DVD 樋口宗孝追悼ライブ 2009 Munetaka Higuchi Forever Our Hero 沢田泰司 ほか参加 2009年2月14日ライブ 渋谷C. Lemonホール 2011年2月 オムニバスアルバム HarD'n'HeavY RELIGION 2011 TSP ほか参加 We ROCK 付録 2012年2月8日 ライブDVD EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2010 樋口宗孝追悼ライブvol. 2 沢田泰司 ほか参加 2010年11月14日ライブ 渋谷C. Lemonホール XおよびX JAPAN関連作品 (脱退後にリリースされたTAIJI在籍時の音源および映像収録作品、再発売含む) 発売日 形態 タイトル 名義 レーベル 1992年 2月21日 オムニバスVHS 無敵と書いてEXTASYと読む! EXTASY SUMMIT '91 AT NIPPON BUDOKAN X ほか収録 EXTASY RECORDS 3月1日 オムニバスLD 11月1日 2本組VHS・2枚組LD VISUAL SHOCK Vol. 4 破滅に向かって 1992. VISUAL SHOCK Vol. 2 沢田泰司 ほか収録 徳間ジャパン 11月25日 CD アルバム LOUDNESS LOUDNESS WARNER MUSIC JAPAN 12月16日 CD ライブアルバム ONCE AND FOR ALL LOUDNESS WARNER MUSIC JAPAN その他の再発売作品 発売日 規格 形態 タイトル 名義 レーベル 1993年8月21日 CD アルバム THE INNER GATE BAKI (TAIJI参加) 2007年9月25日 sky station 関連書籍 [ ]• TAIJI復活PHOTOGRAPH(2000年12月 徳間書店) TAIJI 著• TAIJI 沢田泰司 (2015年 )赤塚友美 著 脚注 [ ] []• 1992年、雑誌「Fool's Mate」でのインタビューより [ ]。 2008年7月9日. 2013年8月1日閲覧。 Yahoo! ニュース. Yahoo Japan. 2011年7月15日. の2011年7月18日時点におけるアーカイブ。 2011年7月15日閲覧。 SANSPO. COM. 2011年7月18日. の2011年7月24日時点におけるアーカイブ。 2011年7月18日閲覧。 MSN産経ニュース. 共同通信 産経新聞社. 2011年7月17日. の2011年7月17日時点におけるアーカイブ。 2011年7月17日閲覧。 2011年7月17日. の2011年7月17日時点におけるアーカイブ。 2011年7月17日閲覧。 BARKS 2011年7月18日観覧• 高崎晃公式HP MESSAGE 2011年7月17日観覧• INFORMATIONより 2011年7月18日観覧• TSPオフィシャルブログ 2011年7月19日観覧• 竹内光雄公式サイト・トップページ尚、竹内は意識不明の報道の直後ブログで沢田をと呼び早期回復の願いも記していた。 Taiji Fujimoto公式ブログ「退かぬ、媚びぬ、省みぬ!Flying Vivid」7月21日付• tomo 黒田朋幸 のブログ-7月17日付• 高橋ロジャー和久「The Diary Of ROGER」7月21日付• Keyboardist 清水賢治のブログ-7月25日付• 2015年8月28日• BARKS 2016年12月29日 2018年6月18日閲覧• 』は、ケースはMaxiシングルだが、ディスクは8cmCDが収められている仕様。 BARKS 2016-07-27. 2016年12月5日閲覧 外部リンク [ ]• TAIJIofficial -• (遺族による署名サイト).

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