だから柱である俺が来た。 【鬼滅の刃】TikT〇kで流行ってる柱の物真似

第42話 俺、戦場から撤退する

だから柱である俺が来た

『裁判の必要などないだろう!鬼を庇うなど明らかな隊律違反!我等のみで対処可能!鬼もろとも斬首する!』• 『不死川の言う通りです!人を喰い殺せば取り返しがつかない!!殺された人は戻らない!』• 『(うむ!いい心掛けだ!)』• 『この話はこれでお終いだな!!』• 『俺の継子になるといい 面倒を見てやろう!』• 『溝口少年 君の刀は何色だ!』• 『罪なき人に牙を剥こうものならば この煉獄の赫き炎刀が お前を骨まで焼き尽くす!!』• 『うーん!うたた寝している間にこんな事態になっていようとは!!よもやよもやだ!柱として不甲斐なし!!穴があったら入りたい!!』• 『柱までは一万歩あるかもしれないがな!』• 『昨日の自分より確実に強い自分になれる』• 『だから柱である俺が来た!』• 『君と俺が何の話をする? 初対面だが俺はすでに君のことが嫌いだ』• 『老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく尊いのだ 強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない この少年は弱くない侮辱するな』• 『動くな!!傷が開いたら致命傷になるぞ!!待機命令!!』• 『俺は俺の責務を全うする!!ここにいる者は誰も死なせない!!』• 『(母上 俺の方こそ貴女のような人に生んでもらえて光栄だった)』• 『竈門少年が死んでしまったら俺の負けになってしまうぞ』• 『こっちにおいで 最後に少し話をしよう』• 『弟の千寿郎には自分の心のまま 正しいと思う道を進むよう伝えて欲しい 父には体を大切にしてほしいと』• 『それから 竈門少年 俺は君の妹を信じる 鬼殺隊の一員として認める』• 『胸を張って生きろ 己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け 君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない』• 『竈門少年 猪頭少年 黄色い少年 もっともっと成長しろ そして 今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ 俺は信じる 君たちを信じる』• 『(俺はちゃんとやれただろうか やるべきこと 果たすべきことを全うできましたか?)』.

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自主休暇は取れる

だから柱である俺が来た

今日も今日とて、天気が良い。 布団から起きて、身体をゆっくりと伸ばす。 昨日は夜遅くまで鬼狩りを行っていたから少し寝不足気味なのは否めないが、それを気にする事も無し。 炎柱に就任して、既に 数年 ・・ 経った。 先代が上弦の鬼との戦闘で退任し、階級も伴っていた自分が繰り上がった。 幼い頃、父槇寿郎に連れられて煉獄家へやってきた少年。 その際に色々な葛藤や思惑が混ざり、杏寿郎と話すこともあったがそれはさておき。 追って鬼殺隊に入隊、鬼を少しずつ狩って生きていく内に不磨回帰の噂はかなり入って来た。 曰く、鬼殺隊最強。 曰く、岩柱と並び最強。 曰く、鬼を恨んでいる。 一番最後の噂は兎も角、鬼殺隊の中で最強と言うのに杏寿郎は異論は無かった。 たった一度。 一度だけ、戦っている所を見た。 その燃え盛る炎は、遠くから見てもしっかりと判別できた。 夜の山に、轟々と広がる炎。 その日、杏寿郎は思ったのだ。 回帰は弟弟子だが……俺よりも、もっと強い。 もっとでかい。 もっと凄い! そうして、それと同時に自分に自信も持ったのだ。 あの回帰が。 あの炎柱が。 あの偉大な男が、俺を炎柱に素晴らしいと認めてくれたのだ。 これ以上に奮い立てるものがあるだろうか。 これほどまでに、高ぶる事があるだろうか。 途中で炎柱を突然やめてしまった父の部屋から指南書を取り、僅か数冊の本から炎柱に選ばれるほどの実力を得たのだ。 ……だが、杏寿郎は素直に喜ぶことは出来なかった。 自分が炎柱に相応しいとは、思えなかったからである。 炎柱になった時、杏寿郎はまだ若かった。 今でも十分に若いが、それでも柱になるには不十分だったと杏寿郎は考えている。 『私が何らかの理由で炎柱を退く時、煉獄杏寿郎を後釜として据えて頂きたい。 ……継子ではありませんが』 いつかの柱会議にて、そう発言していたようだ。 その意思を汲んで、柱となった。 たとえ柱の推薦であっても、実力が伴わないのなら許されない。 つまり、実力的には問題は無かったのだ。 だが、これでは。 回帰が言ったから柱になったような物だ! 憤りはしない。 自分の実力の無さを嘆いた。 愕然とした。 今でもあの時のことはよく思い出せる。 いや、忘れる事はないだろう。 あれ程までに強く、鬼殺隊の柱として生きていた男が。 「…………回帰。 俺は信じぬぞ」 あの男が、衰弱死したなど。 信じない。 たとえお館様が言っていても、受け入れ難い事があるのだ。 この目で死を見てないのだ。 ならば、受け入れるわけにはいかない。 父は、回帰の有様を見て狂ってしまった。 自分よりも特別で、恐ろしく強かったと認めた才を持つ天才が無残に打ち捨てられた。 その事実に、現実に、世を嘆き酒を浴びるように飲むことすら無くなった。 もうあの人は、生きているだけだ。 だが、それだけでもいいと思う。 母は死んだ。 兄と慕える友人も消息知れず。 父も精神的な負担によって、常人とは言い難い。 唯一残っている弟は、まだ幼い。 自分が育ててやらねば、いけないだろう。 父が生きている。 それだけでもいい。 母の愛を覚えずに育つのは悲しいのだ。 「あ、すみませーん! 杏寿郎さーん!」 「む? 甘露寺か、久しいな!」 ひょっこりと、庭から顔を出す。 桃色の髪に、毛先の方が緑色に染まっている。 不思議な髪色だ、と最初は感想を抱いた。 朗らかな、見る人を安堵させる笑みを浮かべながら手を振っている。 彼女は甘露寺蜜璃。 今年杏寿郎が継子として引き取り、育てていた。 とは言っても、彼女は特異体質を持っているため殆ど杏寿郎は手を患ってない。 筋肉が常人の八倍近くあるため、正直なところ杏寿郎が呼吸全開にして漸く力比べに対抗できる。 おかしい。 「お久しぶりです。 ええと、柱会議以来でしたか?」 「うむ! 甘露寺が就任してすぐの会議以来だ!」 その筋肉量や、残念な事に炎の呼吸とは相性が悪かったようで他の派生の呼吸を扱う甘露寺は既に柱まで上り詰めていた。 肉体的な強さは勿論、その技の鋭さも素晴らしい。 柱の中でも強い方だ、と杏寿郎は認めていた。 「ちょっとお聞きしたいことがあるので来たんですけど、大丈夫ですか?」 「俺に聞きたい事? 別に構わないが」 ああ、よかったと笑ってから甘露寺が話しを切り出す。 「実は昨日、ちょっとした怪我をしたので蝶屋敷に初めて行ったんです」 「ああ、胡蝶の所か」 「はい。 そこでしのぶちゃんの治療も受けて一日過ごしてきたんですけど……実は、こんなものを頂いて」 そう言いながら、あるモノを取り出す。 どこか見覚えのあるソレを見て、杏寿郎は眉を顰めた。 「…………そうか。 そして、煉獄の者が身に着けた物でもない」 「……え?」 気が付けば、苦い顔をしていた杏寿郎に驚く甘露寺。 自分が師事を受けていた時すら見たことのない表情に、思わず呆ける。 俺の物ではない」 あの日身に着けていた隊服は、そのまま蝶屋敷にあったのか。 「すまん、甘露寺。 不愉快な訳ではない。 どちらかと言えば、俺の不甲斐なさを実感しているだけだ」 「あ、い、いいえ。 どこかから電波のように聞こえてきたその声を杏寿郎は無視した。 それどころではないからである。 「よかったら、貸してくれないか?」 そう言って受け取る。 ……ああ、俺が渡したもので間違いない。 羽織の裏面を見ると、僅かに跡が残っているのだ。 先に鬼殺隊に入隊する弟弟子に対し、兄弟同然の友人に対し安全祈願をこめて残した跡。 「……今お前は、何処にいるんだ?」 決して、死んだとは思えなかった。 思いたくはなかった。 思おうと思わなかった。 何とでも言い訳がつくが、それは簡単な理由だ。 自分が認めた男が、折れたと思いたくない。 「……あの、杏寿郎さん」 気が付けば甘露寺が廊下に腰かけ、こちらを見ている。 「その、先代炎柱の人って……しのぶちゃんのお姉さんと」 「ああ。 胡蝶カナエと仲が良くてな、よく共に任務に行っていたと聞く。 ……そういえば、甘露寺が来た時には既に居なかったな」 「はい。 凄く強くて、当時の鬼殺隊でも実力者だったって聞きました」 天気は、晴れている。 「元々、回帰は何でもない農民の出身だ。 鬼に襲われ、生身のまま鬼を一匹殴打によって行動不能に。 鬼狩りから帰宅した父上が、将来有望だと、少し陰りのある表情で伝えてきたのを。 母である瑠火は反対しなかった。 それどころか、唐突な話だったのにも関わらず歓迎だといった。 「その時既に、回帰は復讐心に囚われていたかもしれない……いや。 その頃からずっと、そうだったのだろう。 それこそ、柱になるまではな」 柱になって、変わっていった。 復讐という言葉に支配された鬼殺の剣士が、徐々に人間に戻っていく。 胡蝶カナエと不磨回帰、誰がどう見てもいい組み合わせではないのに、いい組み合わせになっていった。 「だからこそ、か……だがな、回帰。 俺は諦めきれないのだ」 人は、失われていくものだ。 失っていくものだ。 技術も、尊さも、生命も。 鬼とは違って、残る事はない。 いつの日か、お前のような奴が居なくなるまで。 鬼が居なくなり、悲劇の連鎖が止まるその日まで。 どうかどこかで見ていて欲しい。 俺を認めたお前に、胸を張れる時を待って。 布団に包まれ、寝ている男性。 それなりに歳を重ねたのだろう、皺が出て老け始めた顔だ。 「今日は、甘露寺が参りました。 ある土産を、持ってきて」 そう言いながら、寝ている横にあるモノを置く。 「……回帰は戻っては参りませんでした。 でも、きっと、俺は何処かで生きているんじゃないかと思っています。 葬儀も行って、今更何をと思われるかもしれません。 ですが、俺は死体を見てないのです」 お館様から通知があった際、既に回帰の葬儀は行われていた。 骨も砕かれており、本人の確認ができる物は一つもなかった。 「いつか必ず、回帰を連れて参ります。 父上も、元気でいて欲しい。 ……これは、蝶屋敷にあったモノです」 「俺はこれから、会議に出て来ます。 何やら鬼を庇う隊員がいたとかで、その処分を下すと話していました。 誑かされたのかはわかりかねますが、どちらにせよ悲しい出来事です」 立ち上がり、置いた羽織を身に着ける。 違和感を感じるのだ。 けれど決して不快ではない。 そうだ。 この重さは……誇りだ。 不磨回帰という人間を、背負っている。 その思いを抱いて、生きる。 炎柱とは、そういうモノだ。

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だから柱である俺が来た

人が恋柱を見る時、視線は胸元に吸い寄せられる。 だが本当に注目すべきは彼女の下半身だ。 彼女の短いスカートの下には、天才の業が隠れている。 『鬼滅の刃』第22話 視界が令和に染まる ちょっと前に 恋柱こと 甘露寺蜜璃が話題になっていた。 お願いだから女性キャラも、普通に人間として戦わせてくれ……— 酒向萌実|GoodMorning SAKOMOMI この人の感想については意見がいろいろとあるだろうが、本記事の主題はそこではない。 主題に関わるのは、この人が甘露寺のキャラデザの どこに注目していたかである。 『鬼滅の刃』第22話 ツイートから分かるように、着目点は甘露寺の 「胸」であった。 これは今回に限った話ではない。 多くの人が立場によらず甘露寺の胸に注目する。 それは 「乳柱」というスラングが誕生していることからも分かる。 俺はこの風潮に疑問を投げかけたい。 お前たちの視点は 令和にあるのではないか、と。 『鬼滅の刃』の舞台設定は 大正時代である。 同じ日本であるとはいえ、令和である現代とは 文化が違う。 それなのに令和の視点で語っていいものだろうか。 そんなはずはない。 やはり時代を考慮した上で語るべきだ。 令和ではなく大正のレンズを通すと、甘露寺の姿が違って見える。 胸よりも下半身、つまり スカートが気になるのだ。 そして彼女のスカートをめくると、 前田という天才の業が見える。 大正っていつだ 本題に入る前に、『鬼滅の刃』の時代設定を確認しよう。 あらすじにも書いてあるとおり、 「時は大正」である。 大正時代は 1912年7月30日から 1926年12月25日までだ。 最終選抜で遭遇した手鬼の発言から計算すると、 1話時点では1912年 大正元年 もしくは1913年 大正2年 と考えられる。 とはいえ作中では具体的な年月日が提示されていないため、ざっくりでいいと思われる。 1910年以前なら 鬼滅前、 1910年代・20年代ならほぼ 鬼滅中、 1930年以降なら 鬼滅後。 これくらいの認識をもって読み進めてほしい。 授乳の道具 なぜ我々は甘露寺の 胸の露出が気になるのだろうか。 同じく柱の 不死川も鍛え上げた胸筋を見せつけているし、 伊之助に至っては上半身を完全に露出している。 『鬼滅の刃』第22話 『鬼滅の刃』第11話 これは 女性の乳房は性的なものとされているからである。 もちろん男性の胸部に性的魅力を感じる人もいるが、扱われ方がまるで違う。 現代の日本における女性の乳房は、 準性器とでも言える状態にある。 しかし、このような文化は 「昔」からあったわけではない。 そもそも日本では乳房どころか、 「裸体」ですら性的なものとされていなかった。 幕末から明治初頭にかけて日本にやってきた外国人たちは、往来から見えるところで行水している日本人に驚き、書き記した。 それほど裸体を見られることについて、日本人は気にしていなかったのだ。 江戸時代の日本人が性的対象とみなしていたのは 「行為とセットになった性器」である。 その心情を感じたければ、 春画を見るといい。 性器・結合部こそ入念に描かれるが、肉体の他の部位については描き込みが少なく、男女差も小さい。 むしろ髪型や衣服の方が重要視されている。 Kitagawa Utamaro [CC0], 上記の絵には俺が修正を加えたので、結合部に興味のある人はリンク先に飛ぶといい。 他のも見たい人は下記リンクから。 とはいえ裸体が気にされていなかったのはせいぜい明治初頭までの話。 外国との交流が増えるに連れ、裸体は「恥ずかしいもの」となっていく。 その象徴とも言えるのが 「腰巻き事件」である。 明治34年 1901年 の白馬会第六回展において、黒田清輝の『裸体婦人像』を始めとする裸婦画が、 著しく風紀を乱すとして警察が展示の制限を求めたのだ。 『裸体婦人像』Kuroda Seiki 1866-1924 [Public domain], 警察は特別室での展示を求めたが、黒田らは反対。 結果、額縁ごと 下半身を布で覆って展示することになったのである。 だが 上半身はそのままだった。 乳房は性的であると見なされなかったのである。 結局、日本で乳房が性的対象とされるようになるのは、戦後の 1940年代後半からである。 アメリカを中心とした欧米の文化が一気に押し寄せたためだ。 アメリカでは 1920年代の終わりから豊満な肉体が求められるようになり、 1940年代には 「胸の谷間」が注目されるようになる。 そして 1950年代から60年代にかけて、 グラマーの黄金時代を向かえた。 この時代の流れが、日本人の感性を変えたのだ。 マリリン・モンロー, Teichnor Bros. , Boston [Public domain], ではそれ以前における日本で乳房はどう見られていたかというと、それは 「授乳するための器官」である。 なにせ「おっぱい」という言葉さえも江戸時代では 母乳のことでしかないし、使われることもほとんど無かった。 一般的に乳房のことも指すようになったのは 1940年代後半のことで、国語辞典に「おっぱい」が登録されたのは 1955年まで待たなくてはいけない。 このように、日本において女性の胸部が露出しているのを「性的」とみなすのは、完全に 鬼滅後なわけである。 谷間に注目するのは アメリカでさえもまだだった。 ゆえに当時における甘露寺のトップスは 「奇妙」であるとはいえ、今ほど 「性的」と見なされなかったと言えるだろう。 しかも 他の柱達の格好も相当に奇抜である。 『鬼滅の刃』第22話 甘露寺の胸ばかり見てしまうのは、我々が令和に生きているからなのだ。 そのため彼女の ボトムスの意味を見逃してしまう。 膝上のイノベーション 甘露寺のスカートは短い。 丈が膝上であるため、現代の感覚でもアレは ミニスカートと言えるだろう。 だが、あれを素直に「ミニスカート」と呼んでいいものだろうか。 冒頭に貼ったTogetterに対するブコメで、「ミニスカートは女性の開放の象徴としての意味を持っていた」ことを指摘したものがあった。 これはおおよそ正しい。 ミニスカートを最初に発表したとされるフランスのファッションデザイナー、 アンドレ・クレージュは明確にそのことを語っている。 現代女性は働き、活動的な生活をしている。 ゆえに服は行動が重視されなくてはいけない。 現代女性は男性と平等であることを望んでいる。 ゆえ服装で男女平等を実現しなくてはいけない。 現代女性は性的タブーを捨て去ることを望んでいる。 ゆえにあるがままの肉体を見せなくてはいけない。 デザイン段階で女性解放の思想が込められており、フェミニズムの目指すところそのものである。 また、 1950年代後半のイギリスでは、ファッションデザイナーの マリー・クワントがミニスカートを自身のブティックで販売し始めている。 Mary Quant, Jac. とはいえ 自由で活動的な女性から生まれ、そんな彼女からの人気を得たのだから、やはりこのミニスカートも「女性解放の象徴」と言っていいだろう。 これまでミニスカートの始まりを簡単に紹介したが、 鬼滅よりざっくり40〜50年後であることに気がついただろうか。 ここまで時代が離れすぎていると、甘露寺のスカートを語るのには不適切であるように思える。 ここで 1930年に出版された 北澤楽天のマンガ 『女百態エログロ漫画集』の1ページを見てもらおう。 『楽天全集 女百態エログロ漫画集』 クレージュより 35年も前のマンガにミニスカートの女性が描かれている。 だがこれは北澤楽天や日本のファッションセンスが世界に先駆けていたことを意味しない。 1920年代にも丈の短い ショートスカートが世界的に流行したためだ。 これについて語るにはウィンブルドンへ飛ぶ必要がある。 現代のテニス ローンテニス は19世紀末のイギリスで考案された。 当初はガーデン・パーティーの余興に過ぎなかったが、広まるに連れて本格的なスポーツとなり、 1877年からウィンブルドン選手権が開催されるようになる。 1884年には女子シングルスも開催されるようになった。 ここで問題になったのが、女性のテニスウェアである。 ガーデン・パーティーから始まったこともあり、当初のテニスウェアは ドレスに限りなく近かった。 しかしそれではプレイしにくい。 そこで選手たちはウェアの改良に乗り出す。 1884年ウィンブルドン初代女子チャンピオンの モード・ワトソンは、シンプルで 「裾の短い」ドレスで試合に出場した。 Maud Watson, 不明 [Public domain], これのどこが「裾の短い」なんだと思うかもしれないが、女性の 「足首が見える」格好は十分に大胆な格好だったのである。 これを受けて20世紀初頭まで、女性のテニスウェアは「細身の長袖」と「足首までのスカート」が定番スタイルとなった。 スカートの裾を引きずらないようになったとはいえ、これでもまだ「動きやすい格好」とは言えない。 それに当時はコルセットをつけてプレイするのが一般的であった。 カリフォルニアのテニスプレイヤー、 エリザベス・ライアンの回想によれば、「プレイ中の動きで鋼鉄の芯が折れ、体を傷つけることもあった」という。 試合後の更衣室には 血のついたコルセットや下着が放置されていた、とも。 この状況を一変させたのが「テニスの女神」とも称される スザンヌ・ランランである。 彼女は 「襟なし・袖なし・ひざ丈スカート」でコートに舞い降りた。 Suzanne Lenglen playing 1920, Agence de presse Meurisse [Public domain], 大会の役員達は「そんな裸のような格好でコートに立たないように」と注意したが、彼女は一歩も引かず 「ダメならフランスに帰る」と言い放つ。 優れた選手であるランランを帰らせるわけにもいかず、結局この格好で出場することが認められた。 こうして彼女はウィンブルドンで 1919年から大会5連覇を達成し、 1925年にまた優勝した。 これは女子シングルス・ダブルスの両方である。 ランランの活躍の影響はテニスコートの中にとどまらなかった。 街を歩く女性達のスタイルも 開放的なものへと変えていくのである。 それまでのバストとヒップを強調し、盛られた服装は前世紀のもの。 これからの時代は 動きやすさだ、と。 こうしてスカートの丈は上がっていき、1920年代にショートスカートが流行するのである。 このように丈の短いスカートは、クレージュやクワントが「ミニスカート」を生み出す前から存在した。 そしてランランを発端とするショートスカートの流れは、我々にヒントを与えてくれる。 戦いに勝つためにスカートの丈は短くなる、と。 ショートスカートの登場は 鬼滅後である。 ゆえに甘露寺のスカートはショートスカートの系譜に連なるものではない。 あれは 収斂進化と考えるべきだ。 ワトソンやランランはテニスで勝つために丈を短くしていった。 甘露寺のスカートも 鬼を倒すという明確な目的があったからこそ、 世界に先駆けたデザインとなったのではないだろうか。 この仮説にはちゃんと裏付けがある。 栗花落カナヲが着ている隊服を見るといい。 カナヲのスカート丈の変遷 戦いの経験を積むに連れ、彼女の スカート丈は短くなっていく。 やはり鬼を倒すためには、スカート丈を切り詰める必要があるのだ。 とはいえカナヲのスカート丈はダーウィン主義よろしく少しずつ短くなっていったのに対し、甘露寺のは最初から短かい インテリジェント・デザインである。 我々はここで鬼殺隊服のデザイナー、 前田まさおと向き合わなくてはならない。 前田という天才 甘露寺の隊服をデザインしたのは鬼殺隊服縫製係の 前田まさおである。 『鬼滅の刃』12巻 鬼殺隊の隊服は 「特別な繊維」で作られている。 通気性はよいが濡れ難く、燃え難い。 雑魚鬼の爪や牙ではこの隊服を裂く事すらできないほど頑丈。 そんなゴアテックスの上位互換みたいな繊維である。 そんな特殊で頑丈な繊維である以上、隊服を縫製するには 高度な技量が求められると思われる。 そして間違いなく前田はその技量の持ち主だ。 だが、前田が持っているのは技量だけではなかった。 天は彼に 時代の先を行くセンスを与えたのである。 クレージュがパリコレでミニスカートを発表するのに先駆けること半世紀、前田はスカート丈を短くするべきだと分かっていた。 運動性を追求するなら脚は自由であるべきで、動きを制限するスカート丈は必要最低限の長さに切り詰めるべし。 めくれやすくなるが、ズロースを履けば問題ない。 時代は 「 裳断 モダン 」である、と。 Toglenn , こうなると甘露寺のトップスは 前田のセンスが先走り過ぎた結果ではないかと思う。 「胸の谷間に性的な意味を見出さない時代」の人間であるのに、彼は「ドレスのようなスタイル」に美しさを見出していたのだろう。 その天性のセンスによって。 しかも彼にはそれを実現する技術があった。 前田の悲劇は彼が 未来に生きていたことにある。 その技術は求められるが、 センスは求められない。 我々が大正時代の感覚を理解できないように、前田の周囲にいる人間もまた、 彼の感性を理解できないのだ。 天才であるがゆえの孤独と苦悩。 とはいえ前田に非が無かったわけではない。 彼は 自分の感性を強引に押し付けているからである。 しかも隊服は先に書いたとおり頑丈で 鎧の役割を持つ。 いくら自分の好みだからといって、隊員を危険に晒すのは間違っている。 芸術家の中には作品第一な身勝手な者もいるが、前田はまさにそのタイプと言えよう。 だから 「ゲスメガネ」と呼ばれてしまうのだ。 しかし前田にも救いの時が訪れる。 恋柱、甘露寺蜜璃と出会うことによって。 恋柱のモード 甘露寺は当初、前田による隊服をそれが 「普通」だと騙されて着ていた。 彼女が真実に気がつくのは柱合会議で蟲柱、 胡蝶しのぶと会った時である。 しかし彼女は以降も前田デザインを着用し続けている。 それはあのデザインが 彼女に適しているからだ。 極めて薄く柔い刀を使う甘露寺の 流法 モード は、 筋肉の柔さと 関節の可動域の広さによって成り立っている。 ギリギリまで切り詰められた隊服は、そんな彼女の動きを制限しない。 これにより彼女は 思うがままに戦えるのである。 さらに前田デザインの欠点である「防御力の低下」も甘露寺にとって問題ではなかった。 これは 筋肉で解決できる。 『鬼滅の刃』14巻 甘露寺の筋密度は常人の8倍である。 そんな筋肉で構成される甘露寺の 「肉の宮」は、隊服が引き裂かれるほどの攻撃にも耐えきった。 肉体が隊服より強靭なのだから、隊服による守りが薄いことを気にする必要はない。 こうして前田は 甘露寺という最高のモデルと出会うことで、自身の作品を世に披露できることとなった。 甘露寺は時代の先を行くデザインを身にまとい、 戦場 ランウェイ を進むのである。 終わりに 『鬼滅の刃』ではしばしば 家父長制に通じる発言がされる。 しかし、それを批判する者は少ない。 現代の価値観ではアウトでも、 大正時代に生きる彼らなら当然のことだからである。 異なる時代を舞台とする作品と接する時は、 当時の価値観を考慮しなくては正しく読み取れない。 これは服装についても同じことである。 甘露寺蜜璃を、そして前田まさおというキャラを正しく理解するためには、当時の服飾文化を知らなくてはいけない。 この記事がその助けとなれば幸いである。 : : : : ただしオーガスとガダムによるロマンス小説におけるヒーローの身体を表す頻出語トップ7に「胸」は含まれていない。 何が求められているか知りたい人はを読むといい。 : イギリスのジャーナリストであるジョン・レディー・ブラックは、1862年頃なら江戸と横浜の近辺で見られたし、1874年頃でも居留地のすく近所で毎晩見ていると書いている。 : 以前に無修正で春画を載せたら評判が悪かったので。 芸術だし、現代にアレで性的に興奮する人は少ないから問題無いと思ったのだが、気にする人はそこそこいた。 なお、ダビデ像で批判が来たことは今のところ無い。 : 地域によっての差はあるが。 : 明治4年に「裸体禁止令」が発令されたのが大きい。 外国人から好奇の視線を受ける機会が増えたことも理由として挙げられる。 : 当時の新聞記事: : 1955年に刊行された『広辞苑』の初版が最初に「おっぱい」を収録した国語辞典だと言われている。 この時には「乳。 また、乳房」と書かれているため、乳房のことも指すのが一般的となっている。 Twitterで1915年の辞書にも「おっぱい」が収録されているとの指摘を受けた。 : 当初は男子シングルスのみ。 : 1924年は病気のため4回戦後に棄権。 : もちろんランラン活躍だけが全てではない。 時は第一次世界大戦後の激動期。 男性が不足し、社会の変革が進んでいた時代である。 こうした時代背景であったからこそ、ランランの影響が出たと言うべきだろう。 : もっと前がお望みなら、今からおよそ3400年前にまで遡ることができる。 単行本21巻でカナヲが履いているのは普通のスカートではなくてキュロットであることが判明した。 これについての考察は別記事に書いた。 : 12巻掲載の描きおろし8コマ『みつりちゃんの隊服』参照。 : 2巻10話参照。 : 当時、女性の下着は「腰巻き」が一般的であったため、裾がめくれると下着どころか陰部まで見えることが普通にあった。 それに対して洋装下着のズロースは、大事なところを完全に守り切る。 だからめくれても問題ないという認識が一般的であった。 今の感覚で言うならば「スカートの下に短パンを履く」ようなものだ。 : しかし甘露寺の下着は、かなり激しい動きをしていても全く見えない。 当時のダボッとしたズロースではありえないことである。 おそらく踊り子が履くようなキャラコ製のフィットする特殊品なのではないかと考えられる。 : ショートスカートが登場したとき、新聞や雑誌などで「裳断」と称されることがあった。 裳を短く裁断するからである。 髪を短くすることも「毛断」と呼ぶこともあったので、単にうまいこと言いたいだけだと思えばいい。 honeshabri.

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