ようび。 【作家】和食器の愉しみ・工芸店ようび

「木工房ようび」が火事で全焼。彼らの活動復興を応援するプロジェクト「負けるな、ようび、愛してる」が発足!

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1週間のニュース・スポーツ・エンタメ・流行・話題をどこよりもわかりやすく、そして面白くお伝えする『めざましどようび』。 週末の朝、笑顔をお届けするこの番組に、10月5日(土)から、谷尻萌(たにじり・もえ)が新お天気キャスターとして加わることになった。 谷尻は、現在、同志社大学社会学部メディア学科に在学中の3年生。 京都生まれ京都育ちで、漢検準1級や英検2級、ニュース検定2級など、さまざまな資格を持つ才色兼備の逸材だ。 そんな彼女が、『めざましどようび』11代目お天気キャスターとして、週末のお天気を伝える。 さらに、「しっかりと責任を持って、情報を伝えていきたいです」と、力強く抱負を語る。 フレッシュな仲間が加わり、よりパワーアップする10月からの『めざましどようび』に、ぜひご期待いただきたい。 新お天気キャスターを務める谷尻萌 谷尻萌 コメント Q. この話が来た時の感想は? 「うれしかったです。 『めざましどようび』は見ていて楽しくて、朝から元気をもらえる番組だなと思っていました。 声の音域が狭いので、高い声と低い声を混ぜてしゃべることを意識して、より視聴者の方に伝わりやすくなればと思っています。 いきものがかりさんが好きなので、『めざましテレビ』のテーマ曲にもなっている『SING! 』をよく歌います」 Q.憧れのキャスターは? 「皆藤愛子さんです。 清楚(せいそ)な雰囲気と、いつまでもフレッシュなところに憧れています。 『めざましどようび』に出演するにあたって、お天気キャスターという使命を、毎週しっかりこなしていきたいと思います。 まだ至らない点も多いとは思いますが、自分ができることを頑張りたいと思うので、番組を見ていただけたらうれしいです」 チーフプロデューサー・高橋龍平(フジテレビ情報制作センター)コメント 「お会いして1分でピンときました。 次のお天気キャスターになるべき方だと…。 これまで時代を彩るお天気キャスターを数々輩出してきた『めざましどようび』ですが、谷尻さんは知性と清楚(せいそ)さとフレッシュさが同居した京美人で、間違いなくブレイクする逸材です。 ご期待ください」 『めざましどようび』歴代お天気キャスター 1代目 小林麻央 2003年10月4日~2006年9月30日 2代目 山縣苑子 2006年10月7日~2007年3月31日 3代目 大澤亜季子 2007年4月7日~2008年9月27日 4代目 加藤綾子 2008年10月4日~2009年3月28日 5代目 高見侑里 2009年4月4日~2012年3月31日 6代目 曽田麻衣子 2012年4月7日~2013年9月28日 7代目 木村拓也 2013年10月5日~2015年3月28日 8代目 岡副麻希 2015年4月4日~2017年3月25日 9代目 篠原梨菜 2017年4月1日~2018年3月31日 10代目 沖田愛加 2018年4月7日~2019年9月29日 11代目 谷尻萌 2019年10月5日~ 谷尻萌(たにじり・もえ)プロフィール 生年月日:1999年2月10日 身長:164cm 出身地:京都府 血液型:AB型 学歴:同志社大学社会学部メディア学科3年在学中 趣味:フルート、ピアノ、ストレッチ 特技:スキー 資格:漢検準1級、ニュース検定2級、英検2級、スキー検定2級 経歴:日本きものシステム協同組合専属モデル 2018年ミスハチミツクイーンコンテスト グランプリ.

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「めざましどようび」美尻トレーニング!岡部友トレーナーが伝授!

ようび

人口1500人の村にある家具と木造建築「ようび」 岡山県英田群西粟倉村に拠点を構える家具と木造建築をしている「ようび」は、国産ヒノキを使った椅子やテーブル、木造建築の設計施工の会社です。 写真左:大島正幸さん 写真右:大島奈緒子さん 2009年に設立された「ようび」の代表を務めるのは、岐阜の高山で家具職人として働いていた大島正幸さんと、正幸さんと同じ会社で建築設計をしていた大島奈緒子さんです。 ようびが生まれるきっかけになったのは、正幸さんが西粟倉村に木材を視察に向かったこと。 国内産の木材に需要がなく、手入れされずに荒れていく森を放ってはおけないと考えたことから始まりました。 家具を作ることで、地元で生まれる木材を消費し、林業を活性化させ、森(村の風景)を育む。 大島さんたちはこの流れを、「やがて風景になるものづくり」という言葉で表現して、ようびのミッションとして掲げています。 創業から順調に事業を発展させてきた大島さんですが、2015年に事務所兼工房を火事で焼失してしまいます。 焼失したのは社屋だけでなく、木材を加工する機械、家具になるはずだった木材、そして完成後お客さんのもとに届くのを待っていた家具など、全てが燃え、被害総額は約9000万円になったそうです。 写真:片岡杏子 写真:片岡杏子 大島さんは一度は「事業をたたまなくてはいけないかもしれない」と考えましたが、その日のうちに、再建を決意し、2週間後には仮工房で家具の製造を開始。 次いで新社屋再建プロジェクト「ツギテプロジェクト」を立ち上げ新社屋の再生に取り組みました。 最終回はこのツギテプロジェクトの詳細に迫ります。 この建物に使われる木材は全て、木材を育てる過程で生まれる間伐材です。 総本数は約5500本で、一本9cm角の柱に手作業で溝を掘り、組み合わせることでひとつの大きな建物を建てます。 まるでオブジェのような建物はどのように構想されたのでしょうか? 大島奈緒子さん(以下、奈緒子さん):この構法は利点が多いんです。 そのメリットは、サイズが自在に変えられること、拡張自在なこと、部分的なメンテナンスがしやすいこと、木材の加工も比較的簡単なことなど。 これらの利点は、私たちがつくりたい社屋に適していたんですよ。 大島正幸さん(以下、正幸さん):僕たちが、杉の木で新社屋を建てようと思ったのは、僕たちが掲げる「やがて風景になるものづくり」というミッションとつながるからです。 杉の木の優れているところは、誰もが建てられる可能性を持っていること。 木材の加工が簡単ですし、長さ2メートルくらいの木材ならば、女性でも持てます。 この工法なら、材料の加工が容易で参加しやすく、女性や高齢者、子どもでも手伝えると思います。 間伐材を有効活用できることもメリットですね。 間伐材は林業を行う過程で必ず発生する木材ですが、細いものが多いので用途が限られてしまいます。 結果、需要がなく売れ残ってしまうことも多い。 この木組みは細い木材でも活用できるので、間伐材が有効利用できます。 日本全国、ほとんどの山間地では林業が営まれていて、木材を加工する製材所がある。 材料となる間伐材は手に入りやすいですし、間伐材を利用することは林業を活性化することにつながります。 林業が活性化すれば、日本各地にある山林とその景色を守ることができるんです。 新社屋を建てることは、ようびのミッション「やがて風景になるものづくり」と密接につながっていました。 輸入された安い木材にシェアを奪われ、日本の林業は衰退しています。 結果、全国に手入れが行き届かない森が増え、木材として使えなくなってしまう木も増えてきているそうです。 私たちが地方で目にする森や田畑は、そこに住んできた人たちが植林や行い、田畑を整備してきた結果残ったものです。 目にする風景には、そこに関わった人たちの足跡が残されています。 先人が残した木材と木組みを使った新社屋の再建プロジェクトは、全国の森を育む足がかりでもあるのです。 再興の力強い仲間、ボランティアスタッフ「ツギテノミカタ」 新社屋再興プロジェクト「ツギテプロジェクト」には、再興作業を手伝おうと様々な人がボランティアに訪れています。 ボランティアスタッフは「ツギテノミカタ」と呼ばれ、2015年のプロジェクト開始時から数えるとその数は250名以上。 取材に伺った時も、東京や大阪など遠方から集まった人が作業を手伝っていました。 東京からやってきたOLの松崎茜さんは、学生時代からボランティアに参加している古参メンバー。 東京の会社に就職が決まった後も、休みがあるたびに西粟倉村に通い、この日も半日だけ作業をして東京に戻っていきました。 松崎さんは西粟倉とようびを「第二の故郷」だと話します。 ほかにも、東京の芸術大学でデザインを学ぶ学生が7週間住み込みで手伝いに来ていたり、県内から毎週末車を飛ばして来てくれる男性の姿を見ることができました。 「同じ釜のめし」を囲むからコミュニティが生まれる ツギテプロジェクトでは昼食は必ず同じ食卓を囲み、みんなで食べます。 スタッフの皆さんが、毎日用意してくれる食事は具沢山で優しい味。 お邪魔した日は大きめの手作りおにぎりと、甘酸っぱい春雨のサラダ、菜物のおひたし、お麩の煮物が食卓に並びました。 大島さん達は、この昼食の時間をとても大切にしています。 正幸さん:ジブリの「紅の豚」ってあるじゃないですか。 その中で、主人公ポルコの飛空艇を工房で作るシーンがあるんですね。 作業を終えたらみんなでトマト味のパスタを食べるんです。 そのシーンが大好きで。 「同じ釜のめし」じゃないですけど、一緒にご飯を食べると人となりが分かる。 せっかく遠方から来てくれるなら、その人と仲良くなりたいんです。 人と縁ができると、その人を通して、村にまた新しい人が訪れてくれます。 そういった人の循環をつくりたいんです。 奈緒子さん:みんなで囲む食卓は創業以来大切にしていることで、社員とも毎日昼食は一緒にとるんです。 喧嘩もするし、言いたいことも言い合うし、家族のような仲になっています。 プロジェクトには、大工さんとボランティアスタッフだけでなく、いろいろな職種の、ようびの社員さんも参加しています。 最古参社員の渡辺陽子さんは、ようびの家具職人。 2010年に入社し、現在は家具製作の合間に再建作業に参加しています。 渡辺陽子さん:プロジェクト当初はボランティアの人も少なかったんですが、今では毎週末誰かが作業に参加してくれています。 だんだんと参加者が増え、何回も参加してくださる人の姿を見ていると、新しい社屋は自分たちだけの建物じゃないと思うようになりました。 木材の加工はコツコツと同じことの繰り返しです。 溝を切ってノミで表面を整えて、と地味なんですけど、ひとつひとつの作業が社屋の再建につながっていると思うと、とてもやりがいがあります。 8月の終盤には柱の加工作業も完了し、あとは組み立てるだけ。 ツギテノミカタと社員さんがコツコツと繰り返した作業が実を結ぶ時まで、あともう少しです。 11月、12月は建物の組立て(建て方)の協力者として、ツギテノミカタを大募集しているそうですよ。 プロジェクトはまだまだ続く、社屋再建のその後も ツギテプロジェクトはまだまだ続きますが、最後に社屋が完成したその後について大島さんに伺いました。 正幸さん:新しくできる社屋は、プロジェクトに参加してくれた人の拠り所になるのではないでしょうか。 西粟倉は山の中にあるけれど、「私も作ったんだ」と思える建物があって、そこにようびの僕たちがいれば、また遊びに来てもらえると思っています。 プロジェクト当初は、全国各地から年齢も性別も様々な人が集まるなんて考えていなかったんです。 人生死ぬのはわかってるけれど、何が起こるかわからないものですね。 西粟倉に移住するなんて思っていませんでしたし、社屋の焼失や、プロジェクトを通して色々な人と出会えたこともそう。 様々な人と出会えて、僕らを応援してくれたので、人に任せず自ら再建する選択をしてよかったと思っています。 僕や奈緒子は天才に生まれなかったから、ひとりではできることが限られているんです。 でも、天才じゃない人がたくさん集まれば、大きなこともできるはず。 微力は無力じゃありません。 このプロジェクトは、日本全国の林業の再興や、森の育成にもつながっています。 新社屋はその象徴になると思うんです。 お祭りに参加するような気持ちで、これからも多くの人に参加して欲しいですね。 社屋の焼失によって様々なものを失ったようびは、「ツギテノミカタ」という新しい仲間を得ることができました。 プロジェクトはまだまだ続きます。 社屋の再建後も、林業の再興、森の育成という形で、プロジェクトは続いていくでしょう。 大島さんは、プロジェクトのことを「お祭り」と言いました。 ひとりひとりにできることは限られますが、集まれば大きなことができるはず。

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【作家】和食器の愉しみ・工芸店ようび

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人口1500人の村にある家具と木造建築「ようび」 岡山県英田群西粟倉村に拠点を構える家具と木造建築をしている「ようび」は、国産ヒノキを使った椅子やテーブル、木造建築の設計施工の会社です。 写真左:大島正幸さん 写真右:大島奈緒子さん 2009年に設立された「ようび」の代表を務めるのは、岐阜の高山で家具職人として働いていた大島正幸さんと、正幸さんと同じ会社で建築設計をしていた大島奈緒子さんです。 ようびが生まれるきっかけになったのは、正幸さんが西粟倉村に木材を視察に向かったこと。 国内産の木材に需要がなく、手入れされずに荒れていく森を放ってはおけないと考えたことから始まりました。 家具を作ることで、地元で生まれる木材を消費し、林業を活性化させ、森(村の風景)を育む。 大島さんたちはこの流れを、「やがて風景になるものづくり」という言葉で表現して、ようびのミッションとして掲げています。 創業から順調に事業を発展させてきた大島さんですが、2015年に事務所兼工房を火事で焼失してしまいます。 焼失したのは社屋だけでなく、木材を加工する機械、家具になるはずだった木材、そして完成後お客さんのもとに届くのを待っていた家具など、全てが燃え、被害総額は約9000万円になったそうです。 写真:片岡杏子 写真:片岡杏子 大島さんは一度は「事業をたたまなくてはいけないかもしれない」と考えましたが、その日のうちに、再建を決意し、2週間後には仮工房で家具の製造を開始。 次いで新社屋再建プロジェクト「ツギテプロジェクト」を立ち上げ新社屋の再生に取り組みました。 最終回はこのツギテプロジェクトの詳細に迫ります。 この建物に使われる木材は全て、木材を育てる過程で生まれる間伐材です。 総本数は約5500本で、一本9cm角の柱に手作業で溝を掘り、組み合わせることでひとつの大きな建物を建てます。 まるでオブジェのような建物はどのように構想されたのでしょうか? 大島奈緒子さん(以下、奈緒子さん):この構法は利点が多いんです。 そのメリットは、サイズが自在に変えられること、拡張自在なこと、部分的なメンテナンスがしやすいこと、木材の加工も比較的簡単なことなど。 これらの利点は、私たちがつくりたい社屋に適していたんですよ。 大島正幸さん(以下、正幸さん):僕たちが、杉の木で新社屋を建てようと思ったのは、僕たちが掲げる「やがて風景になるものづくり」というミッションとつながるからです。 杉の木の優れているところは、誰もが建てられる可能性を持っていること。 木材の加工が簡単ですし、長さ2メートルくらいの木材ならば、女性でも持てます。 この工法なら、材料の加工が容易で参加しやすく、女性や高齢者、子どもでも手伝えると思います。 間伐材を有効活用できることもメリットですね。 間伐材は林業を行う過程で必ず発生する木材ですが、細いものが多いので用途が限られてしまいます。 結果、需要がなく売れ残ってしまうことも多い。 この木組みは細い木材でも活用できるので、間伐材が有効利用できます。 日本全国、ほとんどの山間地では林業が営まれていて、木材を加工する製材所がある。 材料となる間伐材は手に入りやすいですし、間伐材を利用することは林業を活性化することにつながります。 林業が活性化すれば、日本各地にある山林とその景色を守ることができるんです。 新社屋を建てることは、ようびのミッション「やがて風景になるものづくり」と密接につながっていました。 輸入された安い木材にシェアを奪われ、日本の林業は衰退しています。 結果、全国に手入れが行き届かない森が増え、木材として使えなくなってしまう木も増えてきているそうです。 私たちが地方で目にする森や田畑は、そこに住んできた人たちが植林や行い、田畑を整備してきた結果残ったものです。 目にする風景には、そこに関わった人たちの足跡が残されています。 先人が残した木材と木組みを使った新社屋の再建プロジェクトは、全国の森を育む足がかりでもあるのです。 再興の力強い仲間、ボランティアスタッフ「ツギテノミカタ」 新社屋再興プロジェクト「ツギテプロジェクト」には、再興作業を手伝おうと様々な人がボランティアに訪れています。 ボランティアスタッフは「ツギテノミカタ」と呼ばれ、2015年のプロジェクト開始時から数えるとその数は250名以上。 取材に伺った時も、東京や大阪など遠方から集まった人が作業を手伝っていました。 東京からやってきたOLの松崎茜さんは、学生時代からボランティアに参加している古参メンバー。 東京の会社に就職が決まった後も、休みがあるたびに西粟倉村に通い、この日も半日だけ作業をして東京に戻っていきました。 松崎さんは西粟倉とようびを「第二の故郷」だと話します。 ほかにも、東京の芸術大学でデザインを学ぶ学生が7週間住み込みで手伝いに来ていたり、県内から毎週末車を飛ばして来てくれる男性の姿を見ることができました。 「同じ釜のめし」を囲むからコミュニティが生まれる ツギテプロジェクトでは昼食は必ず同じ食卓を囲み、みんなで食べます。 スタッフの皆さんが、毎日用意してくれる食事は具沢山で優しい味。 お邪魔した日は大きめの手作りおにぎりと、甘酸っぱい春雨のサラダ、菜物のおひたし、お麩の煮物が食卓に並びました。 大島さん達は、この昼食の時間をとても大切にしています。 正幸さん:ジブリの「紅の豚」ってあるじゃないですか。 その中で、主人公ポルコの飛空艇を工房で作るシーンがあるんですね。 作業を終えたらみんなでトマト味のパスタを食べるんです。 そのシーンが大好きで。 「同じ釜のめし」じゃないですけど、一緒にご飯を食べると人となりが分かる。 せっかく遠方から来てくれるなら、その人と仲良くなりたいんです。 人と縁ができると、その人を通して、村にまた新しい人が訪れてくれます。 そういった人の循環をつくりたいんです。 奈緒子さん:みんなで囲む食卓は創業以来大切にしていることで、社員とも毎日昼食は一緒にとるんです。 喧嘩もするし、言いたいことも言い合うし、家族のような仲になっています。 プロジェクトには、大工さんとボランティアスタッフだけでなく、いろいろな職種の、ようびの社員さんも参加しています。 最古参社員の渡辺陽子さんは、ようびの家具職人。 2010年に入社し、現在は家具製作の合間に再建作業に参加しています。 渡辺陽子さん:プロジェクト当初はボランティアの人も少なかったんですが、今では毎週末誰かが作業に参加してくれています。 だんだんと参加者が増え、何回も参加してくださる人の姿を見ていると、新しい社屋は自分たちだけの建物じゃないと思うようになりました。 木材の加工はコツコツと同じことの繰り返しです。 溝を切ってノミで表面を整えて、と地味なんですけど、ひとつひとつの作業が社屋の再建につながっていると思うと、とてもやりがいがあります。 8月の終盤には柱の加工作業も完了し、あとは組み立てるだけ。 ツギテノミカタと社員さんがコツコツと繰り返した作業が実を結ぶ時まで、あともう少しです。 11月、12月は建物の組立て(建て方)の協力者として、ツギテノミカタを大募集しているそうですよ。 プロジェクトはまだまだ続く、社屋再建のその後も ツギテプロジェクトはまだまだ続きますが、最後に社屋が完成したその後について大島さんに伺いました。 正幸さん:新しくできる社屋は、プロジェクトに参加してくれた人の拠り所になるのではないでしょうか。 西粟倉は山の中にあるけれど、「私も作ったんだ」と思える建物があって、そこにようびの僕たちがいれば、また遊びに来てもらえると思っています。 プロジェクト当初は、全国各地から年齢も性別も様々な人が集まるなんて考えていなかったんです。 人生死ぬのはわかってるけれど、何が起こるかわからないものですね。 西粟倉に移住するなんて思っていませんでしたし、社屋の焼失や、プロジェクトを通して色々な人と出会えたこともそう。 様々な人と出会えて、僕らを応援してくれたので、人に任せず自ら再建する選択をしてよかったと思っています。 僕や奈緒子は天才に生まれなかったから、ひとりではできることが限られているんです。 でも、天才じゃない人がたくさん集まれば、大きなこともできるはず。 微力は無力じゃありません。 このプロジェクトは、日本全国の林業の再興や、森の育成にもつながっています。 新社屋はその象徴になると思うんです。 お祭りに参加するような気持ちで、これからも多くの人に参加して欲しいですね。 社屋の焼失によって様々なものを失ったようびは、「ツギテノミカタ」という新しい仲間を得ることができました。 プロジェクトはまだまだ続きます。 社屋の再建後も、林業の再興、森の育成という形で、プロジェクトは続いていくでしょう。 大島さんは、プロジェクトのことを「お祭り」と言いました。 ひとりひとりにできることは限られますが、集まれば大きなことができるはず。

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