め組 の 辰五郎。 【火消しのめ組とは】簡単にわかりやすく解説!!江戸の火消制度についても!

新門辰五郎~徳川慶喜に信任された幕末の侠客

め組 の 辰五郎

前進座が国立劇場公演でひさしぶりに「新門辰五郎」を出している。 前進座の青果劇の中でもとりわけ前進座色の強い、それだけに、もっと宣伝してもいいものだ。 大歌舞伎では勘弥がやったほかは、萬屋錦之介のを見た程度。 勘弥のは、晩年の渋味が利いてからの勘弥らしい、イナセにいぶし銀をかけたようで、なかなかいいものだったが、青年歌舞伎が壊滅してからの若き日のいっとき、二代目左團次の一座にいた時代に蓄えた薀蓄の一端を見せようとしたものに違いない。 またこのときは猿之助が小鉄をやっていて、これは猿之助若き日の俊秀ぶりを示す、なかなかの秀作だったと思う。 大歌舞伎でも、誰かこの青果劇中の異色作に取り組まないかと思うのだが、群集劇としての半面が、上演を難しくしているのだろう。 ところで今度の『新門辰五郎』は、現在の前進座の持てる力を発揮した好もしいものだった。 群集劇であることが、逆に前進座らしいよさを発揮する。 翫右衛門から梅之助を一代飛ばして梅雀の辰五郎と、小鉄の矢之輔という配役は名案といっていい。 傑出した大親分としての辰五郎より、群集劇の結節点の二人、というぐらいの方が、青果臭ともいえるある種のものものしさをあまり感じさせず、むしろ現代的な行き方ともいえる。 鳶の群集劇といえば、偶然とはいえ、歌舞伎座でやっている『め組の喧嘩』と重なり合う。 「め」組と「を」組ととんだ二人辰五郎だが、菊五郎・時蔵の辰五郎夫婦、團十郎の四ツ車・海老蔵の九龍山の錦絵の如き両力士、左團次の江戸座喜太郎、梅玉の炊出しの喜三郎などと揃ったところは、何といってもいい。 安定感がもたらす豊かさは、とりわけ菊五郎劇団ならではの、永年築き上げた信頼感の賜物でもある。 もっとも團菊爺イめいたことをいうなら、「め」組の鳶の面々の勇ましさといい、身の軽さといい、なんとなくヤワになったような気がしないでもない。 花道から駆け出してきて小屋の屋根へ駆け上がるところで、鳶らしからぬ身ごなしや、体重の重さを感じさせた鳶が、幾人かいたようでもある。 一方、「を」組の辰五郎率いる江戸の鳶と、会津藩抱えの小鉄配下たちの、前進座一流のマスゲームは、こういう芝居だと充分に効力を発揮する。 同じ面々が、もうひとつの演目『毛抜』に出ているときとは別人のごとくである。 (八重菊でよき風情を見せる菊之丞あたりにして、小野春風では格段の差が出る。 )辰五郎が火事場装束に着替える間をつなぐ木遣や、揃って押し出す男っぽさは、好悪は別として、その統率の見事さと手づよさという点で、歌舞伎座の「め」組たちを凌いでいる。 思えばこの『新門辰五郎』こそ、前進座版の『を組の喧嘩』なのだ。 そう思って見れば、冒頭の新門側と会津側の衝突、激突するのが芝居小屋と娘義太夫、両辰五郎の逡巡、ついに決意しての激突と、作者はかなり意図的に『め組の喧嘩』を書き換えていることがわかる。 それにいま改めて見ると、作としては少々アラも気になる。 辰五郎側に比べ、会津側があれではいかにも敵役のようで、理屈をいえば、小鉄の統率者としての力量が問われそうだ。 もっとも「め」組の作者も鳶に甘く角力には辛いようだが。

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【火消しのめ組とは】簡単にわかりやすく解説!!江戸の火消制度についても!

め組 の 辰五郎

この項目では、江戸時代に実際に起きた乱闘事件について説明しています。 通称「め組の喧嘩」で知られる、この事件を題材にした歌舞伎の演目については「」をご覧ください。 め組の喧嘩(めぐみの けんか)は、二年二月(3月)に起きた「め組」のと江戸相撲のたちの乱闘事件。 やの題材にされた。 解説 [ ] 境内で開催中だった相撲の春場所を、め組の鳶職・辰五郎と長次郎、その知人の富士松が無銭見物しようとしたのが発端。 芝神明宮界隈はめ組の管轄であり、辰五郎らは木戸御免を認められていたが、富士松はそうではなかったため、木戸で口論となった。 そこへ力士の九竜山が通りかかって、木戸番に味方したので、辰五郎らは一旦引き下がった。 相撲場を去った辰五郎たちは芝居見物に向かったが、同じその芝居小屋へ何も知らずに九竜山がやって来て、先刻の恨みが再燃。 他の見物客らもあおってその巨体を野次り満座の中で恥をかかせる。 九竜山はこらえきれずに辰五郎を投げ、芝居を台無しにしてしまう。 火消しの頭や相撲のも仲裁に入って一旦は収まりかけたが、同部屋の力士が九竜山をあおって復讐をたき付け、部屋から力士仲間を応援に呼び集めた。 これに対して火消し衆も火事場支度で応戦、さらには火の見やぐらの早鐘まで鳴らして仲間に動員をかける。 火消し衆は、相撲側はと、それぞれを管轄する役所へ訴え出て事態の収拾をはかったが、もはやいかなる仲裁も用をなさないまでに騒動は拡大していた。 、が出動して乱闘に割って入り、火消しと力士合計36人が捕縛された。 のこの時期の同様の騒動には、鳶職人700人が7時間に渡ってせめぎ合ったものなどもあり、けが人は出たが直接の死者はなく(当事者のひとり富士松が乱闘中にうけた刀傷が原因となって取調べ中に牢死している)「め組の喧嘩」は規模としては小さい。 庶民の注目を集めたのは、事後処理が相撲興行を取り仕切る寺社奉行と、町方の事件を裁く町奉行、後には農民の訴訟を取り扱うも乗り出して、評定所の基本的な構成員である三奉行の協議によって進められるという、当時とても珍しい形をとったためだった。 裁きは9月になって下ったが、全体に相撲側に甘く、火消し側に厳しいものとなった。 そもそもの発端が火消し側にあったことと、また、特に非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓の早鐘を私闘のために使用、事態を拡大させた責任が重く見られたためである。 早鐘に使用されたは扱いになり、辰五郎は百叩きの上江戸追放、長次郎と早鐘を鳴らした長松が江戸追放。 その他の鳶は説諭と罰金と比較的軽く済んだ。 力士側では九竜山のみ江戸払いを命ぜられ、他にお咎めはなし。 騒動の後2ヶ月に渡って中断していた春場所は4月になってようやく千秋楽を打ち上げた。 遠島になった半鐘は、明治時代になってから芝大神宮に戻されている。 時の三奉行は次の通り。 : 、、、、• :(北町) 、(南町)• : 、、、、 注意 [ ]• 数多くのフィクションの題材とされているまたはの(「を組」)と、この事件の め組の辰五郎は別人である。 新門辰五郎の正確な生年は諸説あるが、この事件当時は未だ幼少である。 関連項目 [ ]• (かみのめぐみわごうのとりくみ) - 本件を題材とした歌舞伎作品。 この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。 この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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新門辰五郎~徳川慶喜に信任された幕末の侠客

め組 の 辰五郎

喧嘩っぱやい江戸っ子たちが勢揃い。 もうそれだけで楽しい一幕 夜の部、おしまいの演目が『め組の喧嘩』。 市川團十郎と尾上菊五郎がそれぞれ、相撲取りの親方、鳶の親分となって登場し、文字通り真っ向対決の演目だ。 ちょっとしたトラブルがそれぞれの子分たちや家族を巻き込んでの大喧嘩に。 ずらりと並んだ鳶や相撲取りたちに客席が囲まれて、まるで江戸の下町の大喧嘩のその現場に居合わせたかのような臨場感がある。 そして歌舞伎の魅力もそこにある。 通称 め組の喧嘩 めぐみのけんか 本名題 神明恵和合取組 かみのめぐみわごうのとりくみ 作者 河竹黙阿弥 ほか あらすじ 正月、品川の島崎楼の宴席でトラブルとなった相撲取りと鳶。 相撲取りとの親方九龍山浪右衛門と四ツ車大八と鳶の藤松らが喧嘩になる。 鳶頭のめ組の辰五郎はその場を収めるが、後日芝神明の芝居小屋で喧嘩が再燃。 辰五郎は改めて、相撲取りたちと決着をつける決心をする。 兄貴分の喜三郎に後を託し、女房からも励まされ、ついに相撲取りたちと鳶たちの大喧嘩が始まる。 だが喜三郎の機転で無事喧嘩は収まる。 見どころその1 火事と喧嘩は江戸の華というが、江戸の風俗を100%楽しめるにぎやかな一幕だ。 大男で立派な相撲取りたちと、小柄でイキの良い鳶たちという組み合わせにワクワクする。 鳶頭の辰五郎はくり返し彼らの喧嘩を収める。 だがその分、腹に貯まるものもあっただろう。 「八ツ山下のだんまり」ではそんな辰五郎の様子が垣間見える。 そしてついに対決を決意する。 だが義理ある仲の喜三郎に喧嘩を止められてしまった。 逆に女房からは「だらしない!」となじられるのだから、さすが鳶の妻、恐るべし。 そしてついに辰五郎は立ち上がる。 女房が切り火をし、さっきまでの悩む辰五郎から、すっきりと生れ変わったような顔付で仲間の下へ駆けつける。 この細やかな気持ちの変化をお見逃し無く。 なんといっても楽しいのは大立ち回り。 鳶たちが花道や舞台にずらりと並ぶと壮観で口がポカンと開いてしまう。 江戸の町を相撲取りと鳶たちが大暴れ。 屋根の上での立ち回りや宙返りなど、ワクワクする大詰だ。 見どころその2 「だんまり」 何人かの人物が、暗闇の中で黙ったまま動く場面が様式化したものだ。 お互いに相手が見えないので、お囃子に乗ってゆったりと相手を探るように動く。 通常この場の出来事がその後の展開の発端となるから要注目だ。 五月は海老蔵、菊之助の『お富与三郎』も。

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