アサヒ ビール 大山崎 山荘 美術館。 開館20周年記念 終わりなき創造の旅 ―絵画の名品より

アサヒビール大山崎山荘美術館は建築と自然を楽しめる美術館

アサヒ ビール 大山崎 山荘 美術館

常設展の「」目当てです。 間近でじっくり観てみたい。 JR「山崎」駅から歩いて10分。 「山荘美術館」と言うだけあって、 「山崎駅」から山の上へと歩くみたい。 美術館へは「秀吉の道」を登ります 美術館へ向かう道は、駅の北側から。 「天王山 登り口」の案内があります。 傾斜のある上り坂です。 この道は、「本能寺の変」の後に、 豊臣秀吉が明智光秀を破った「天王山」を登る道。 と名付けた ハイキングコースになっているそう。 美術館の入り口はトンネルだった 10分くらい登っていくと、美術館の入り口に到着。 このトンネルが、入り口です。 この美術館は、もともとニッカウヰスキーの 出資者だった加賀正太郎の山荘でした。 個人の別荘の入り口がトンネルなんて、 昔のお金持ちはスケールが大きい。 入り口を通っても、まだ坂道です。 かつては加賀家の自家用車で ビューンと登っていったのでしょう。 道沿いの樹木を眺めながら登っていくと、 美術館の姿がみえてきました。 イギリスのチューダー・ゴシック様式の 骨太な山荘です。 お正月の門松も立派です。 さて、美術館に入ってみましょう。 クラシックなドアノブをギーギーッと回して、 中に入ります。 建物の中は、どっしりした木材を使った 重厚な作りでした。 山の寒さ対策として、玄関横に「暖炉」もありました。 (中は撮影NGなので、の画像をお借りしています。 ) さて、ここからは今回の企画展です。 櫛・かんざしとおしゃれ展を観てきた 新春らしい「櫛・かんざし」「女性の浮世絵」の展示会です。 (の画像をお借りしています。 ) 江戸時代の女性は、 こんな凝った髪型を実際にしていたのかな。 ファンタジーだったりして(笑) 髪の毛に掛ける情熱がすごいですよね。 鬢付け油で固め、 寝る時は崩れないように、 高い枕で眠っていた・・・。 都市では、美への努力が涙ぐましい。 (農村だったら、髪は後ろで1つに束ねる 程度だったんじゃないかな。 ) 企画展では、いろんな素材の髪飾りが 一堂に集められています。 「玳瑁(たいまい)」「象牙」など 高価な希少素材の櫛・かんざしも たくさん観ることができました。 《桜花文様象牙櫛・かんざし・笄》 春の髪飾り。 桜柄が清楚です。 (の画像をお借りしています。 ) 一番下の棒状の髪飾りは、 「笄(こうがい)」といいます。 揺れるカンザシは、 色街のお姉さん用かと 思っていたので、意外でした。 素人の娘さんもこんなカンザシを 挿していたんですね。 (の画像をお借りしています。 ) 企画展を観た後は、美術館の中を ゆっくり観てまわりました。 山荘の重厚な内装そのものが 美術品です。 2階のテラスからの「雄大な眺め」は必見 2階の喫茶室では、クラシックな調度品の中で お茶やお酒が楽しめます。 喫茶室の中を通って、2階のテラスに出ると 素晴らしい景色が眺められます。 (の画像をお借りしています。 ) 景色の解説図があるくらい、雄大な眺めです。 天王山から、桂川・木津川・宇治川・淀川が一望できます。 この景色を眺めながら、事業計画などを考えていたんでしょうね。 眺めの素晴らしさは、なかなか写真では伝えきらない。 ぜひ現地で観ていただきたい眺めです。 雄大な眺めで、ゆったりした気分になってから 今回のお目当て「モネの睡蓮」を観に出かけます。 モネの睡蓮は、睡蓮を描きながらも 「水の世界」を描いている・・と感じました。 観ているうちに、 水面に映る「睡蓮」の影や、 水の深さに引きこまれます。 モネの睡蓮のためだけでも、 この美術館に来る価値がありました。 ( の画像をお借りしています。 ) 冬の庭園をブラブラ楽しむ 最後に、庭にでてゆっくりと散策します。 広葉樹の葉がすっかり落ちた、真冬の庭です。 振り返ると、 冬木立の中に山荘が見えます。 冬の池は水も冷たく、さみしい世界です。 ひとりでこの庭をブラブラしていると、 頭の中がからっぽになって、落ち着くなぁ。 無彩色のような寂しい庭の中で、 山茶花の鮮やかなピンクが目にしみます。 斜面には、甘い香りのする水仙が群生していました。 冬の庭園は、寂しい眺めでしたが、 こころが引き締まって、 1人で来るのにぴったりでした。 次は、緑あふれる季節に再訪したい。 もう一度、春か夏に「モネの睡蓮」を観たら、 また新しい感じ方ができそうです。 (おまけ)上品な中華ランチ「味彩」へ で紹介されている メニューが美味しそうで、 に来ました。 レディースランチ1500円が、充実していました。 次もまた来たいなと思う味でした。 前菜は、ピータン・棒棒鶏・キクラゲでした。 キラキラのお皿がちょっと眩しかったです(笑) お皿に凝ってるお店でした。 たまごとえのきのスープ。 温かいスープが冷えた体にしみこみます。 次にサラダがきまして(写真を撮り忘れました) メインの「海老マヨネーズ」です。 (このお皿もアバンギャルドで面白いでしょう。

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京都府の美術館

アサヒ ビール 大山崎 山荘 美術館

アサヒビール大山崎山荘美術館について ABOUT ASAHI BEER OYAMAZAKI VILLA MUSEUM OF ART アサヒビール大山崎山荘美術館は、関西の実業家・故 加賀正太郎氏が大正から昭和初期にかけ建設した「大山崎山荘」を創建当時の姿に修復し、安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」などを加え、1996年4月に開館した。 加賀正太郎氏の没後、加賀家の手を離れた大山崎山荘は、平成のはじめには傷みが激しく荒廃寸前となり、さらに周辺が開発の波にさらされるなかで、貴重な建築物と周囲の自然の保護保存を求める声が多くあがっていた。 加賀氏は、ニッカウヰスキーの設立にも参画し、アサヒビールの初代社長であった故 山本爲三郎と同じ財界人として深い親交があったため、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社は、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として再生することとなった。 アサヒビール大山崎山荘美術館では、貴重な建築物や美しい庭園を後世に遺すとともに、美術館としての個性を生かした企画展示など、独自の文化発信を行っている。 朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)初代社長を務めた山本爲三郎(1893-1966)は、大阪の船場に生まれ、17歳のときに父親の興した製壜業山爲硝子(やまためがらす)製造所を若くして継承した。 山本は、さまざまな課題にあたっては先達の意見に耳を傾けるとともに、事業の整備・拡充に努めながら、やがて生涯の仕事となるビール製造の事業に参画することとなる。 たゆまぬ努力で事業を広げる一方、芸術文化活動への支援にも熱心であった。 ことに、際立った熱意をもってとり組んだのが、柳宗悦が提唱した民藝運動への支援である。 民藝とは、1925年に柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司らが「民衆的工藝」を縮めてつくった造語であり、急速に進む近代化のうねりのなかで、彼らは手仕事の復権や美の生活化を訴えていた。 また、純粋な大阪人の正統を継ぐ山本は、大阪の将来のため国際的に誇れるホテルをとの夢を抱き、第二次世界大戦後に進駐軍の接収下にあった新大阪ホテルを継承発展させた、大阪ロイヤル・ホテル(現在のリーガロイヤルホテル大阪)の設立に心血を注ぎ、1965年には、ホテル内のメイン・バーとして「リーチ・バー」を開設した。 リーチ・バーは、山本がバーナード・リーチや濱田庄司と相談しながら骨子を固めたもので、「用の美」を全体で味わうことのできるバーとして、現在でも多くの人びとに愛されている。 山本爲三郎コレクションの主体である、河井、濱田、リーチ、富本憲吉の陶磁器と、柳宗悦らが招来した東西の古作工芸の佳品の数々は、山本と、彼が第一級と認めた名匠たちとの生涯変わらぬ厚い交誼の証しであり、民藝運動への支援の記念碑ともいえるものである。 大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に大幅に増築されている。 若き日に欧州へ遊学した加賀は、イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れの記憶をもとに、木津、宇治、桂の三川が合流する大山崎に土地を求め、1912年から山荘建設に着手した。 第一期工事は1917年頃に完成。 当時の山荘は、現在の本館玄関ホール部分にあたり、イギリスで実見した炭鉱夫の家に想を得たという。 1922年に加賀は早くも山荘の改造に着手し、現在の本館は、1932年頃に完成した。 上棟部は、イギリスのチューダー・ゴシック様式に特徴的な木骨を見せるハーフティンバー方式をとり入れ、鉄筋コンクリート造、屋根部分には鉄骨が組まれている。 現在喫茶室として使用している本館2階のテラスからは、当時そのままに三川が流れる壮大な風景を眼下にすることができる。 ・山手館「夢の箱」 安藤忠雄設計 大山崎山荘着工から奇しくもちょうど100年を経た2012年、安藤忠雄設計による新棟、山手館「夢の箱」が竣工した。 睡蓮の花が咲く池のほとりに建つ、地上1階建ての山手館は、円柱形の地中館「地中の宝石箱」とは対照的に、箱形で構成されている。 池に面した本館1階テラス[展示室1]から栖霞楼(せいかろう)を望む往来の景観を崩さぬように、建物は周囲の木々に埋もれるように配置され、さらに上部には植栽がほどこされているため、直線的なコンクリートの建物が天王山の自然に不思議と溶けこんでいる。 山手館が建つ場所には、その昔、蘭栽培で名を馳せた大山崎山荘の温室があった。 本館と山手館をつなぐガラス張りの廊下は、温室へといたる通路として使われていた。 美術館に駐車場がないので、近くのコインパーキングに車を停めて歩きました。 駅近くのパーキングを出て踏み切りを渡り、ひたすら急勾配の坂を登ります。 (帰り道の降りも辛かったです。 ) 5分ほど歩くと警備員さんが看板近くに立っていて、誘導してくれました。 隧道のようなトンネルをくぐり抜けると可愛らしい門と、その奥に邸宅風の建物が見えます。 木造の白い塔や、邸宅、庭園がありますが、すぐにガラス張りコンクリートの建築物が目を引きます。 しかし、それが浮き上がるわけではなく、自然とマッチしていました。 オルセーに通じるような作り(あの長い回廊なんかが)で、中にはモネの展示がありました。 2019年12月20日に訪れたときは、企画展として清宮質文の版画とガラス絵の展示がありました。 こじんまりとした作品が多いのですが、木造建築にステンドグラスの本館の雰囲気が相まって、お伽話のような異空間にいるようでした。 作品はどれも素晴らしく、写真を撮ることはできないのですが、深く心に残りました。 これほどまでの感動は、近年記憶になく、素晴らしい展示をこの美術館で鑑賞できたことを特別に思いました。 自然豊かな素晴らしい美術館です。 BY 2019-12-21 会期終了 会期: 2019年12月14日 土 〜 2020年2月21日 金 清宮質文(せいみや なおぶみ 1917-1991)は、画家、版画家の清宮彬(ひとし)の長男として東京に生まれ、東京美術学校(... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる 会期終了 会期: 2019年9月14日 土 〜 2019年12月1日 日 自然との対話を通じて多くの作品を世に送りだし、風景画家と称される東山魁夷 1908 -1999)は、一方で長い歴史のうつろい... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる 会期終了 会期: 2019年6月22日 土 〜 2019年9月1日 日 スペイン・カタルーニャ自治州の州都バルセロナで生まれたジョアン・ミロ 1893-1... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる 会期終了 会期: 2019年3月21日 木・祝 〜 2019年6月9日 日 画家を目指していたバーナード・リーチ 1887-1979 は、日本で陶芸に出合い、その奥深さに魅了されます。 また、民藝運動を... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる 会期終了 会期: 2018年12月15日 土 〜 2019年2月24日 日 江戸時代、女性たちは身分や職業によって服装や装飾品を規制されていました。... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる 会期終了 会期: 2018年9月15日 土 〜 2018年12月2日 日 文豪・谷崎潤一郎(1886-1965)は、女性とそのよそおいを濃密に表現しました。 没後半世紀を経て、着物と馴染みがうすくなりつつある現代においては、作中の描写... CLIP• 閉じる• COMMENT• 閉じる• SHARE• 閉じる.

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アサヒビール大山崎山荘美術館 — 京都大学

アサヒ ビール 大山崎 山荘 美術館

天王山の麓、サントリー山崎蒸留所と並んで、山崎の2大人気スポットであるを紹介します。 山崎観光案内所といいながらも、この山荘美術館を何故かいままで詳しく紹介していませんでした。 訪問している回数ならダントツで1位なんですが、どう紹介したらよいかちょっと悩んでいたのが原因です。 先日、久々に美術館を訪問しましたのでこれを機会に書いてみることにしました。 まず、このアサヒビール大山崎山荘美術館の良い点は、山荘美術館の建物そのもの貴重さや所有美術品もさることながら、周りの環境の素晴らしさにあります。 緑の豊富さや、珍しい野鳥の宝庫、空気のきれいさ、丁寧にメンテナンスされた庭園など見所が多数あります。 1990年代に、当時所有化にあった不動産会社が山荘を取り壊し、マンションを建設する計画が持ち上がったそうですが、付近の住人は猛反対しました。 その際、景観保護をうったえ、アサヒビールが株式会社が協力を申し出て、1996年に美術館として開館することとなり現在の姿になりました。 そういうわけで、山荘の入り口のトンネル(琅玕洞)まで、駅から直通のバスが出ていますが、まずは、自然を堪能するために歩いて訪問することをオススメします。 良い靴をはいてください。 坂がきついので。 ハイヒールなんかはダメですよ。 それではまずはその美術館への道のりから初めましょう。 阪急大山崎駅とJR山崎駅からシャトルバスが出ています。 1時間に2本から3本の割合で運行していますので、待っていればすぐにやってきます。 JRの乗り場にはトイレもありますので、ここで用を足しておくのもいいと思います。 この日は「光りと灯り」展をやっていました。 JR山崎駅から東へ歩き、踏切を渡ります。 このルートは天王山ハイキングコースと同じルートです。 つんのめりそうな急な坂道を上り始めるとすぐに分岐点があり、左側がへのルートへ、右側がこの大山崎山荘美術館へのルートになります。 どちらからでもハイキングコースにたどり着けますが、なんとなくハイキングは宝寺からというイメージがあります。 また、この辺りは多くの野鳥が見られる場所でもあります。 春には桜、秋には紅葉が美しいです。 大山崎山荘美術館の入館料自体は有料ですが、他は無料で解放されており、そこに至るまでの山道の自然や庭も美しく、花見や紅葉の場所としても隠れた名所になっています。 さらに、山荘への道を登る途中で、「」があります。 一見倉庫かガラクタの山に見えますが、掘り出し物もある骨董品店です。 異世界の趣があります。 屋根裏の前には天王山の全体マップもあり、椅子も置かれていて、休憩することもできます。 坂道を上りながら、下界の風景と森林を楽しみながら歩くと、山荘の入り口であるトンネル「琅玕洞」が見えてきます。 直通のバスはここまでです。 入り口に山荘の地図も置かれていて、全体図を把握することができます。 「琅玕洞」から向こうは私有地になり、動物を連れての訪問は禁止されています。 ちなみにこの「琅玕洞」は国の登録有形文化財となっています。 また「琅玕洞」の手前には夏目漱石が山荘を訪れた際に詠んだ句の碑石があります。 「虞美人草」の挿絵を描いていた津田青楓という画家の勧めで、胃の調子が悪い漱石が気分転換をかねて京都を訪れました。 その際にまだ未完成ながらも山荘を訪れたといいます。 その時、山荘の所有者であり建築した加賀正太郎が大山崎山荘の命名を頼んだという逸話が残っています。 漱石は水明荘、冷冷荘、竹外荘、竹外三山荘、三山荘、虚白山荘などの名前を提案しましたが、全部却下(笑 したようです。 石には、隣接する宝積寺(通称宝寺)を眺めながら「宝寺の隣に住んで桜哉」という句を残しています。 「琅玕洞」をくぐり抜けると山荘の敷地内に入ります。 おおよそ美術館の本館まで半分ちょっと来たことになりますが、まだ坂道が続きます。 敷地内に入ると木々が丁寧にメンテナンスされているのがわかります。 ここは紅葉が本当にきれいな場所です。 木陰になっていて夏でも緑の下を涼しくあることができます。 やがて、左手に見えてくるのが『生々居』と呼ばれる建物です。 ここは加賀高之さん、大山崎山荘(現在のアサヒビール大山崎山荘美術館本館)を自ら設計・建築した加賀正太郎氏の甥にあたる方の住まいとなっており、一般の方は立ち入り禁止となっています。 外壁は、赤松で当初は木肌そのままでしたが、保護のため塗装を施し、現在は濃茶色になっています。 カーブを描くような道を歩いて行くと勾配が緩やかになったところで、旧車庫 だった現・レストハウスが見えてきます。 ここはコインロッカーや自動販売機やトイレが完備されています。 またテーブルやパンフレットなども多数置かれています。 特に山荘に入るつもりがない日でも散歩で私はよくここにきます。 大変くつろげる場所でつい長居してしまう場所でもあります。 ここの建築も山荘と同じく、ハーフティンバー工法(外観は木の柱を露出させその間にレンガ壁を組む)で建てられています。 これも国の登録有形文化財です。 本館はリュック禁止なのでここで荷物を預けたほうがいいでしょう。 これまでの坂道で疲れた足を休めたらいよいよ本館の敷地に入ります。 敷地手前の門がこれまたかなり素晴らしい造りです。 その門を抜けると、いよいよ本館である「悠々居」を呼ばれていた現アサヒビール大山崎山荘美術館が現れます。 門の下は砂利がしかれ、池には鯉が泳ぎ、大きな大木が1本生えています。 その後ろにたたずむ美しい建物が山荘です。 絵はがきになったり、写真家に人気があります。 何度見てもテンションがあがる建物です。 むろん住めるもんなら住んでみたい1位の建物です。 アサヒビール大山崎山荘美術館訪問.

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