拝啓 殺し 屋 さん と 結婚 しま した。 DTPでの質問です。印刷屋に版下を入稿する際、透明の色の部分(無地透明)を表現...

わが家は祇園の拝み屋さん

拝啓 殺し 屋 さん と 結婚 しま した

情報DB• ブログ 検索• アニメ:• 50音順• ゲーム:• 50音順• 漫画:• 50音順• 文学:• 50音順• ドラマ:• 50音順• 特撮:• 50音順• 日本映画:• 50音順• 海外映画:• 50音順• Web媒体• Web媒体• Web媒体• 論客目録• その他• by エスパー... な発言がライザ さんの伝言なのもグッと来たなあ…。 先週は悪意のような語りだったんだけども今週の回想が入ると大分印象がガラリと変わるからすごいものだ…。 こう、母の意思を間接的に受け継ごうとしてくれるキーパーソンの存在ってやっぱりいいですね…。 今週のエンドカード、春輝先生が来るとは…。 by めたこ... アニメをみる時間がない。 秋のアニメできちんと視聴できたのは…… 殺し 屋 さんとミス・モノクロームとプリキュアだけじゃないか プリキュアは秋のアニメでもないし。 そんなわけで、今日は三が日唯一の休日。 せっせかDVDにダビングする作業をやってました。 ・IS2 ・のんのんびより ・ラブライブ 再 ・メガネブ! ・ちはやふる2... by 名もなき詩人... さんかれあの評価を見て思わず推薦しそうになった。 でも良く考えてみると、そんな見方があったのかと驚きが合ったと言う事は、逆に言えば描写してねーよって気が付いた。 これすごく大事な事だと思う。 物語はどんなものでも様々な要素を含んでいる。 それはどんな作品でも一緒。 本当に新しい見方の様なものを提供してくれたなら別だ... SFあり、ラブコメあり、何でもかんでもごった煮のよりすぐりショートショート漫画です。 blog. html 2. 眼鏡婦人のLet it goな日々... ・ きょうは会社休みます マンガMee ドラマ化した有名作。 ドラマを懐かしみつつ。 ほのぼのしつつも面白いです。 ・日日 にちにち べんとう マンガMee 絵が古い感じで期待していなかったんだけど、読み進めてくうちに面白くなりました。 hatenablog. へっぽこハンター日記... です、へっぽこハンターコトワです。 『ジョジョの奇妙な冒険』5部のブチャラティです!! 特に意味はありませんが、ミンサー織のシャトルを持たせてみた。 いや、ほら、フラタニティを思い出してさ・・・... html 4. を買った。 ブーツカットやガウチョには興味ないし、持ってなかったので、しっかり太くて 遠目から見たら袴そのもので 新鮮。 野田洋次郎ごっこができる。 歌でいうと「大好物はね、鶏のあんかけ! 」の頃が一番好き。 3、4枚目のアルバムは今でもたまに聴く。 智 さんLOVE 妄想の嵐 さんのお話... 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 智とYOU 何なの? html 6. ジャックの日記... 前作も見ていたので何となく借りました。 殺し 屋の映画ですから人を殺すのはしようがないとしても 殺し過ぎ・・・ 見ていても痛い・・・ 今回もやはり犬ネタは押さえていますね 「出たよ! 」と大笑いしてしまいました。 街頭のお鮨 屋 さんも笑えました 下手クソな平仮名で書かれた品書きや BGMがキャリーやら・... html 7. 定年後の風景... になってるので無理なんでしょうか。 これオースティン側も同じように貴重血のラングレンを生きて要りますな。 それは考えなかったようです。 それでまあしばしこの話したあと、医者二人にほな血抜き頼んますわと不自然に立ち去ると、オースティンは傍らの医者に「お前は不運だな」と呟きます。 「はい? 何ですか」と例の哲学 殺し 屋の如き問答始め... html 8. 福岡市、北九州市、東京 恵比寿。 ANK癌免疫療法、プラセンタインプランテーション ひわき医院 TEL 0935112014... がん剤の副作用が強い原因はここです。 がん細胞にだけある特有なものなどありません。 人間の英知では無理なのです。 だから人為的に癌だけをやっつける治療は出てきません。 唯一、NK細胞が活性MAXな時、多くのセンサーでがん細胞だけを見分け 殺します。 生まれながらにそのシステムが内蔵されているのです。 ですからナチュラルに 殺し 屋 さんなのです。 html 9. ボンヴォヤージュ! ぽんぽんの日記... 90年代香港映画ファンなら目にした映画に関わってる率の高い方です。 先日のアンディ・ラウのダンス映画に出てたサンドラ・ンのパートナーでもあるらしいけど、それはまだもっと先の話しね。 監督はブラッキー・ホー さん。 この映画で初めて名前を知りましたが、コワモテでこの作品のクライマックスにも巨悪な 殺し 屋で出演して... html 10. goo.

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マキシマム ザ ホルモン

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参考サイトとか とりあえず同人するのに便利そうなのを適当に 同人全般・小説本作成方法 素材や作り方など、大変便利。 ワード設定なども豊富で文字書きに優しい。 このサイトは正直全部読んでもいいと思います。 だいすきです。 ワードでの同人誌の作り方の丁寧な解説がとても便利です。 ダッシュの繋げ方しらんかったん…(わあ…) 小説本についてのアンケートなんかも興味深いです。 画像・表紙系 同人活動、どうやっても画像ソフトはないと困ります。 なにも持ってない、どうしよう…そんな時はとりあえずしのごの言わずにメディバンペイントです。 無料でここまでできるソフトそうないと思います。 表紙のテンプレート開いてオンラインフォント(すごくセンスのいいフォントが揃っている)でタイトルいれて、素材をはっつければ十分表紙になりますよ! 無理だ!表紙が作れない!!!よし! じゃあ金で解決しよう!! 大変素敵なデザイナーさんがずらり勢ぞろいでデザインの参考にもなります。 一度頼んでみたい…。 ところで普通に記事にリンクしていますが、あのアレどこさんは同人全般をいろいろ教えてくれて他のも楽しいですよ。 無理だ!表紙が作れない!!!よし! じゃあ印刷屋さんでセミオーダーとかどうかな!! 表紙デザインを作成してくれるコースがある印刷所パート1、小説同人誌のサポートが手厚いしまやさんです。 セミオーダー表紙の種類と、モノクロの場合の紙の種類が揃っています。 紙で随分印象が変わるのでセミオーダーでも十分おもしろいと思いますよ。 、 無理だ!表紙が作れない!!!よし! 印刷所にまるなげだ!! 表紙デザインを作成してくれるコースがある印刷所パート2です。 しまやさんのセミオーダーと違って特殊加工込み、デザインは基本ブン投げる感じになります。 Print-ONさんは特殊加工にすごーく強いので、なにが来るのかほんとにわくどきです。 素材系 無理だ!金がない!!!よし!じゃあこの最高に親切で素敵な表紙素材だ! メディバンでタイトルをいれたら即表紙です!いい時代だなぁ。 正直ここのシリーズ素材サイトは便利すぎて紹介するとキリがない、TopeconHeroesさんの素材サイトの一部です。 使いやすそうなところをチョイスしました。 PNGでもJPGでもaiでも落とせて商用可ってちょっと意味がわからない…。 私も大変常用しています。 常用しすぎてなくなったら禁断症状がでるレベルです。 当サイトロゴはICOON MONOの素材を使用しています。 本文・フォント系 フォントねー、たっかいんですよねー。 私の愛用のヒラギノW2は普通に万単位です。 もちろんいいフォントは本当に読みやすいので、何冊かだしてみて、フォントが気になりだしたら買ってみるのはすごくオススメしますが、最初はやっぱりフォントにそんなにお金かけられないかなって思います。 そんな時にここら辺を参考にするといいかと思います。 テンプレートで刷ってみたけどもう少し自分でやってみたい。 そんな風に思いだしたら見に行くといいと思います。 フォントのあたりのみんなの設定、大変役にたちます。 コピー本を学ぶ 」 カテゴリーのネットプリントタグで、縮小率なんかの検証をやっていて、大変ためになります。 すごいぞトライ&エラー…!! 推し印刷所(…) いや…うん…あの… 私…サンライズの犬なので…。 私の愛用印刷所です。 関係者じゃないし金をもらってるわけでもないよ!! 純粋にサンライズという印刷所を!愛しているだけだよ!!! 印刷所を比較とかおすすめとかするほど印刷所を知らないので、あんまり他はだしませんが、サンライズだけは仕方ないんだ!!!だいすきです!!.

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堀ひろ子さま お元気ですか。 堀さんが星になってから、22年が 経ちました。 あの時、 そう 新婚ホヤホヤのウチに、 普通のヒトだったらゼッタイに遠慮する 新婚さん宅に、 「お邪魔しま~す。 」って、上がりこんで 夜遅くまでビールとワインを煽ってましたっけ。 それから1週間でした? 私に何の連絡もくれず、勝手に、 モノスゴク勝手に とっても勝手に 星になってしまうなんて、 あんまりですよ。 すぐに手紙をくれたじゃないですか、 「また遊びに行きます。 行かせてください。 」って。 神様を怨みました。 レーシングスーツが飛び切りよく似合う、 美人でスタイル抜群で、オフでも、オンでも、 大きなバイクを自在に操るけど、 お尻には、中山サーキットで転んだときの エンジンフィンのやけどの跡が クッキリ2本あって、 お料理はからきしダメだったけど、 ウエディングドレスまで作っちゃうくらい お裁縫が上手で、 文章がうまく、ほんとは天然で、オチャメで、 怖がりで、泣き虫で、 でもいつも、周りの人たちへの細かな心配りができる 堀さんは きっと神様のお気に入りで、わがままな神様が自分の側へ 回収して行っちゃったんだ、って。 堀さん、聞いてくれる? 私ね、またバイクに乗っているんだよ。 結婚した翌年、4月に息子が生まれてからしばらく、 バイクから遠ざかっていたの。 5年後に娘も生まれてね。 娘は残念ながら、夫似です。 そう、堀さんと同じかわいいクシャミをする、あの夫ね。 車の中で同じクシャミをして、3人で大笑いしたよね。 」 って、堀さんは言ってたけど どうだかなあ・・・ まあ、母親に似ないで、素直に育ってる・・かなあ。 子育ては大変だったけど、楽しいことも多かったよ。 10年?いやもっと前だったか、250CCのビックスクーター がリリースされて、飛びついて買ってね 息子や娘を後ろに乗せて、お稽古ごとの送迎なんかに便利に 使ってたんですよ。 で、子供達が大きくなったら4台でツーリングに 行こう、なんて思っていたのに、 息子は全くバイクに興味なし。 高2の娘は大きいのに乗る、って言っているので 期待してるんですが。 今ね、バイクに乗ることが 楽しくって、楽しくって。 夫や友人とワインディングばかりだけど、 美味しいもモノも必ずチェックしてから 出かけます。 そういえば堀さんとも色んなところにツーリングに 行ったよね。 2度ほど行った九州ツーリングが楽しかったなあ。 フリーマンのみんな元気かなあ。 会いたいなあ。 岩手のイーハトーブも、サハラもヨーロッパも、 語りつくせない思い出でいっぱい。 バイクだけじゃなかったね。 清里のペンションへは、堀さんの下ろしたてのピアッツァ。 黒のボディが堀さんにメチャクチャ似合っていた。 車に乗ってもカッコよかったもん。 運転を交替しながら、サウンドは定番のストレーキャッツ。 道中、雪が降ってきて、吹雪の中を「エッサエッサ」と 二人でタイヤチェーンつけたよね。 岡山の倉敷は私の車だったっけ? なんで倉敷へいったんだっけ? どこかのバイク屋さんのサイン会? そこだけ思い出せない。 白子の海岸に海水浴に行ったとき、 男の子二人にナンパされたの憶えてる? 堀さんはひたすら寝てるフリ。 それを見て私も、遅ればせながら寝てるフリ。 後でふたり大笑い。 風のように私の前に現れて 風のように私の知らない世界に旅立っていった。 自由で、気ままに、でも、しなやかに、華麗に生きた 36年の人生。 ともに過ごした7年間の延長線上を、 今、私は生きています。 堀さん、ありがとう。 じゃあ、またね。 ゴソゴソゴソ・・・ 「あった。 」 堀さんの衝撃の映像以来、なんか モヤモヤのワタシ。 どうしても、見たいものがあったので 和ダンスの奥を探した。 彼女からもらった手紙である。 メールなんてなかったあの頃、よく長電話をした。 筆まめの彼女から何通も届いた手紙のうち、 最後の2通だけ実家から持って来ていたのだ。 彼女が作ってくれた、コットンのフリルが ふんだんに使われたウエディングドレスでの 結婚式を終え、 新婚旅行から帰ると手紙が届いていた。 ちょうど中国のタクラマカン砂漠を 走破する計画が進捗していた頃だった。 「式で大泣きしちゃってゴメン! 最悪の挨拶になってしまって、自己嫌悪です。 大事な時に泣いて、言いたいこともきちんと言えず イヤになっちゃう。 ごめんね。 昨日、先方から受け入れOKの電報が来ました 8月半ばから10月半ばぐらいで行くつもりです。 詳しいことは会ったときに話すね・・ 4月21日の鈴鹿全日本3戦に仕事でいきます。 お邪魔じゃなかったら寄りたいなあ、なんて おもっています。 」 結婚前、鈴鹿や関西で仕事があるときは 必ずワタシの家に寄ってくれた。 小さな灯りで夜更けまで話し込んだ。 彼女も酔うと饒舌になる。 結婚してひと月足らず、新居に 堀さんが泊まりに来るというのを楽しみに していたのはオットだった。 つたない手料理を食べてもらって 中国ツーリングの話、結婚式の話、彼女のお店の話・・ お酒を交わしながら夜が更けるのも忘れていた。 彼女が東京に帰ってから、すぐにまた 手紙をもらった。 それが最後の手紙だった。 彼女がなくなる7日前の日付で、5日前に うちの郵便受けに投函されていた。 「先日は図々しくも、新婚さんちにお邪魔をして おまけに美味しい手料理まで作ってくれて 自分の家みたいにリラックスできました。 ・・先日フィルムの整理をしていたら、サハラの ものが一本出てきて現像しました。 ・・・Zippoのライターを忘れてきたようです。 それではまた遊びにいきます。 行かせてください。 」 彼女の筆跡を見て また胸が詰まった。 」 と、 彼女の声が聞こえた気がした。 なんだか、嘘のように気持ちが軽くなった。 テレビ台の下にZippoのライターを見つけ 手紙と共に彼女に送った。 その手紙は読んでくれたんだろうか。 そうだ、堀さんに手紙を書いてみよう。 目が覚めてしまった。 眠いはずなのに。 なんなんだろう。 なんでこんなに気持ちの切り替えが出来ないんだろう。 わからない。 正直、ワタシらしくない。 いつもは、 ちょっとくらいヤなことがあっても、 凹むことに遭遇しても、 ピンチ~なことに出くわしても、 ご飯を食べて一晩寝れば、 次の日はパキン~とリセットできている。 新しい気持ちに切り替えることができる。 なのに。 そう、 あのGSX炎上ビデオを見てから 堀さんのことが、頭から離れない。 もちろん、そんな大昔のこと ヤなことでも、凹むことでも、ピンチ~でも ないはず。 ただ、何をしていても ふとした瞬間、彼女のことを思い出す。 そのくらいビデオは衝撃だった。 コースを滑って、起き上がり 後ろからくるマシンをよけながらグラベルに走る彼女。 第一ライダーの赤い腕章をはめた彼女が なす術もなく、燃えるマシンの傍らで立ち尽くしている。 その姿が頭から離れないのだ。 まるで、昨日起こったことのように。 あの時、ワタシはその瞬間を間近で見ていなくても 起こっている事態の想像くらい出来ただろう。 実際、遠くからであったが黒煙を見たし その近くに立つ彼女も、遠目からだったが見えた。 ピットに戻ってきた彼女を一番先に迎えたのは ワタシだった。 黒焦げになってパドックに戻ってきた無残な姿の GSXもはっきり覚えている。 なんなんだろう。 ワタシはいったい何がしたいのか。 思いあぐねたところで、どうすることも出来ないのに。 ましてや、くどいが 彼女はいないのだ。 いや、 いないからだ。 いないから考えてしまうのだ。 ワタシと11も歳が離れていた彼女。 いま、もし彼女がいて 「今日ね、アン時のビデオ見てんけどね・・・」 って言ったら、なんと返答してくれただろう。 36歳という若さで人生を全うしてしまった彼女。 ワタシの方が11も年上になってしまった。 」 「え~~~っ!! うそぉ!!」 例の 頭ン中の回路が数本ショートしていると 思われる彼が、さらにビデオを1本、 持って来てくれた。 逸る気を抑え、ビデオのボタンを押す。 心拍数が、心なしか上がっているように感じる。 それはNHKで製作された番組で、 80年の鈴鹿8時間耐久にエントリーしている 京都の名門プライベートチーム、マックウエスタンと モリワキさんちのチームを、 レースの数ヶ月前から追ったドキュメンタリーだった。 懐かしい顔、顔。 モリワキモンスターを駆ける、25歳の彼も若い。 ドキュメンタリーの主人公は、マックウエスタンの 若手ライダーとモリワキの彼だ。 チーム体制の差こそあれ、メカニックとライダーの レースに対する心情が、同じように変化していく様が 興味深い。 NHKが十八番とする、正統派ドキュメンタリーに 仕上がっている。 「8時間耐久レース決勝の前日には 4時間耐久レースが開催され・・・」 のナレーターの声とともに ルマン式スタートで、雨の1コーナーに消えてゆく 4耐マシンたち。 2周目の1コーナー、 数台のマシンがオイルに乗って転倒していく・・ 「あっ! 堀さんだ!!」 テレビに映し出された彼女とGSXを食い入るように 見つめた。 コース上、滑っていくマシンの後を追うように 漏れ出したガソリンに引火 次第に炎が大きくなっていく オフィシャルの消火器によってやっと鎮火 こんなに間近で撮影され、 鮮明に残っている映像があったなんて 全く知らなかった。 本当に驚いた。 二十歳のワタシが、パドックから遠目にみた あの信じられない光景。 テレビの前で、ビデオを止めて考え込んでしまった。 大きくなっていく火を、目の当たりにした 彼女の胸中を思うと たまらなかった。 胸が締め付けられそうだった。 もう、30年近く前のことで、 そして、 映像に映っている彼女はいないのに。 ヘルメットを持って、雨の中をひとり コース脇を歩き、 ピットに帰ってきた時の彼女の顔は 忘れることなんてできない。 思い出して、涙があふれた。 入院中のZは結構なダメージでして。 ペコンッ、とへっこんだタンクしかお見せできなかったのは 西の方角から見るZがあまりにも痛々しいから でして。 で、この際だからZには見切りをつけてっと、 買っちゃいました! な、なワケなくて。 ええ、Zの退院を心待ちにしていますとも。 このトライアンフのショップは、総帥のお店のご近所さんでして。 むか~し、堀ひろこさんと出会ったときの彼女の愛車が トラボンネ(トライアンフ・ボンネビル)だった。 当時、トライアンフなんて見たことも聞いたこともなかった ワタシ、 「へぇ~、 エゲレス イギリス のオートバイなんや~。 」 と、いたく感動した記憶がある。 なので、ウインドー越しに見える、ツインのトラボンネを 見ると彼女を思い出すんですな。 画像の黄色の大きい子は、 ち~と前にね、 ネタで跨らしてもらいまスタ。 スコッチドイエローのトライアンフ・ロケットIII 235万円也。 2.3リッターのオバケマシン。 乾燥重量320キロって、 こんなデカイ子に水やら、オイルやら入れちゃうと どうなっちゃうのよねえ。 転んじゃったら邪魔でしょうがないでしょうなあ。 もちろん一人じゃ起こせないでしょうな。 通行の邪魔になるので、 「早くお退き!」 とばかり、周りのみんなが起こすのを 手伝ってくれるんでしょうなあ。 コレなら交差点で接触事故を起こしても 軽自動車が転倒しそうですぅ。 紀子さまが男子を出産され、41年ぶりの 男子皇族誕生に、テレビのワイドショーは にぎやかである。 昨年暮れに物議を醸し出した皇室典範見直しも、 今やどこ吹く風。 改正は先送りと相成るらしい。 「男系男子による継承」が125代にわたって 受け継がれてきた伝統は、しばらくは保てそうだ。 シバラクは、である。 ところで、ところで、 日本で始めてロードレースが開催されたのが1955年、 今から半世紀前の「浅間高原レース」。 MFJ公認の、全日本ロードレース選手権は1967年から なので、40年の歴史である。 2600年とも1400年とも言われている皇室の 歴史からみれば、昨日のことのようではあるが。 実は、実は、 MFJロードレースの競技規則は当初、エントリーは 「16歳から55歳までの、運転免許証を所有する 『男子』 に限る」 となっていた。 皇室典範ではないが、ここでも 『男子』 である。 つまり、オートバイロードレースの創生期は女性の参加を 認めていなかったのである。 では、何がきっかけで女性がオートバイレースに参加できるように なったのであろうか。 それにはこの人のことを差し置いては語れないと思う。 -----堀さんの著書からの抜粋---- まずは、知人からのすすめもあって、そのころから始まったプロダクションレースに 参加しようと考えた。 が、門は依然として女には閉ざされていたのだ。 まずはこの競技規則を打ち破ることから始めねばならなかった。 今後きっとレースに出たいという女性ライダーは現れるだろう。 私がなんとか強引にでも出場してしまえば、その次からは自然に女性にも 門は開かれるだろう、と考えたのが。 なにはともあれ鈴鹿サーキットで練習をやりはじめた。 最初はおっかなびっくりだったが、だんだんとスピードにも慣れ、まあまあの タイムが出せるようになった。 そのタイムを参考にしてMFJの技術委員、 そして運営委員にかけてもらった。 どうにか許可はおりたものの、プレッシャーは予想より はるかに大きかった。 もしも、私が何らかの事故をおこせば 「それみたことか、女にはやっぱりムリだ、危険すぎる」 ということになる。 たとえ、事故をおこさなくとも、男性ライダーにくらべて問題にならないほど タイムが遅ければ、やはり 「女は足手まといだ。 レースの邪魔になるだけだ。 」 と判断されてしまうだろう。 ある程度速く、そして絶対に安全に走らなくてはならないのだ。 そんな思いを抱きながら夢中で走った鈴鹿200マイルレースの結果は 16台中8位、そしてつづく全日本グランプリでは、途中でリタイヤした ものの、どうにかこの2戦で認められ、翌年から競技規則の中の 『男子』 という文字が消されることになった。 -------------------------------- これまで、ロードレースにエントリーしてき女性の数なんて たかが知れている。 そしてまさに今、現役でサーキットを舞台に、男性とバトルを 繰り広げている女性レーサーの数も、もちろん少ないと思う。 でも、最初は女人禁制だったことを知る女性レーサーは、 もっと少ないと思う。 8耐の優勝者が伊藤・辻村組だと聞いて、 なんとなく嬉しくなった。 伊藤真一選手は39歳と7ヶ月、1978年から始まった8耐の 最年長記録だそうだ。 「最年長」というヒビキにナゼか心揺れる オバちゃんである。 まあ、何年も連続でエントリーをしている、水谷選手や斉藤選手なんて、 もっと年長なわけで、ロードレースは意外と生涯スポーツだったりするかも。 耐久レースといえば、 鈴鹿で始まった78年から、6年間は毎年鈴鹿に通っていた。 4時間耐久レースにエントリーしたのは、8耐が世界選手権 シリーズになった80年、と翌年。 年間チャンピオンを狙って、ポイント争いをする 各国の有名ライダーが鈴鹿に集まっていた。 4耐の決勝は8耐の前日だ。 80年の初戦4時間耐久レース。 スズキにGSX400を出してもらって、 チューニングの神様Dr. 須田さんに作ってもらった マシンは、「出来すぎ」といわれるほど 乗りやすく、速かった。 ワタシが乗っても速かった。 125や250の市販レーサーもエントリーする中、2サイクルの甲高い 排気音に混じって、「ボフッ、ボフッ」と独特の低い爆音 がパドックに響き渡った。 練習走行のとき、最終コーナー立ち上がりでバイクは見えていなくても、 そのサウンドで堀さんがピット前に戻ってくるのがすぐ分かった。 予選は堀さんのタイムで、TT3クラス30台中ポールポジション。 「完走出来たら結構いいポジションかもよ。 」 なーんて、周りからも期待されていて、堀さんとワタシも 「雨が降ったらレーサーより絶対速いよね。 」と 完走が目標だったけれど、少し欲も出てきていて、 本気で雨乞いをした。 女性ライダーが二人で走るとあって、練習や予選のときから TV局やバイク雑誌、スペインのオートバイ雑誌からも 取材を受けた。 あるTV局はドキュメンタリー番組を組んでいた。 緊張して眠れない夜が開け、決勝当日。 二人の願いがかなったのか、鈴鹿は雨に煙っていた。 スタートは堀さん。 耐久レースはもちろん、ルマン式スタートだ。 「最初の数周は少しペースダウンで行くからね。 」といって 彼女はスタンド側スタート位置についた。 マシンを支えたワタシは彼女より、緊張していたかもしれない。 コントロールタワー前のデジタル時計が2分・・1分・・・と 刻まれてゆく。 「GO」 彼女はマシンに駆け寄り、二人で満身の力を込めて 押した。 何度も、何度も押しがけの練習をした功を奏してか、 一発でかかった。 彼女は他の60台に混じって、雨で視界が悪くなった 1コーナーに消えていった。 ピットに戻りツナギを脱いで、彼女が無事に1時間走りきって くれることを願った。 「ボォ~ッ」という独特の排気音とともに最終コーナーに 黄色いマシンが戻ってくるのが見えた。 1周目はどのマシンもかなりペースダウンして走っている。 雨のせいか、一周目から転倒しているマシンも続出している らしく、どこチームのピットクルーも一様にサインボードに 「ペースダウン」のサインを出している。 堀さんもチラッとピットを横目で見て、2周目に入っていった。 そのすぐ後だった。 どこかのマシンが3コーナーで転倒、バイクが炎上している という情報が伝えられた。 「まさか・・・」 いやな予感がした。 雨の中、3コーナーが見えるところまでパドックを全速力で走った。 黄色いバイクが黒い煙を上げて炎上し、 その傍らで堀さんがなすすべもなく、呆然と立ち尽くしているのが 遠目に見えた。 その時ワタシは何を思っていたのだろうか。 何を感じたか覚えていないが、その信じがたい光景とともに ワタシの中の緊張の糸が、大きな音を立てて切れた記憶だけは 鮮明に残っている。 ピットに戻ってきた彼女の目から、クルーやワタシを見たとたん、 それまでこらえていた涙が一気に溢れた。 人目もはばからず少女のように泣いている。 バイクを作ってくれた須田さんに対して、クルーに対して、 スポンサーや、お世話になった人達に対して、 申し訳ない気持ちと、悔しさで一杯だったと思う。 」 そんな彼女の涙を見て、ワタシも泣いた。 「堀さん、来年がんばろっ。 」 私たちの4耐初戦が終わった。 オットが買ってきたバイク雑誌を見ていて、 とても懐かしい人が出ていたので思い出した。 それは確か彼がジュニアの頃で、全日本ロードレース350ccクラスに エントリーしていた年。 同じ年、堀さんもワタシも鈴鹿のプロダクションレースに参戦していた。 パドックやピット、ドラサロ(ドライバーズサロン)で彼に遭遇するたび、 堀さんは 「ステキよねえ~」 「カッコイイよね~」 と、ワタシに耳もとでささやく。 確かにイケメンモデルを彷彿とさせるような目鼻立ち、 スラリと伸びた肢体。 レーシングスーツの彼が、ヘルメットを手に持って歩いている 姿は、ホントにカッコよかった。 しかも、戦績も目を見張るものがあった。 いつの頃からかドラサロで一緒になると、言葉を交わすようになった。 容姿とは異なり、話をする彼は福島弁パリパリのお兄サン。 そんなギャップがまた、彼の魅力でもあった。 翌年、彼は当然のようにA級350ccクラスの年間チャンピオンになる。 堀さんとワタシの4時間耐久レース、初戦の年でもある。 お立ち台でシャンパンシャワー浴びる彼は、その存在だけで絵になった。 堀さんとワタシは、満場一致で (といってもふたりだが) 彼のファンクラブを 設立することにした。 堀さんが会長で、ワタシは副会長。 会の名称は 『彼を守る会』 会則はひとつ。 『会員の募集はしない。 』 その年のシーズンも終わった頃、東京で会の設立を祝った。 場所は六本木のイタリアン。 もちろん堀さんとワタシ、そして彼の3人でだ。 ファンクラブ設立を、はにかんだように笑っていた彼。 口数は少ないけれど、優しさが際立つひとだった。 でも、「勝利」への執念は頑固なまでに持っているひとでもあった。 福島から出てきたこと、自動車の整備士だったこと。 レースの話、ケガのはなし。 そして、将来の夢。 バイクの世界では大先輩で彼より7つも年上の堀さんは、彼のことを クン付けで呼び、彼より4つ下のワタシは、彼の精悍な横顔をうっとりと眺めていた。 場所を移動し、お洒落なスィーツショップで彼にケーキをご馳走になった。 お店を出た後、また3人で会う約束をして彼と別れた。 翌年、彼は500ccに転向し、その後ヤマハのワークスライダーになった。 そんな彼を堀さんとワタシは静かに応援した。 彼の戦績は隆盛を極めた。 彼の名はどんどんビックになっていった。 女の子のファンが彼の周りに大挙して押し寄せるようになった頃、 『彼を守る会』は密かに解散した。 別に理由なんかない。 500でも全日本チャンピオンになり、WGP250で優勝したのはサンマリノだったと記憶する。 85年に名だたる化粧品メーカーのスポンサードでケニー・ロバーツと組み8耐に参戦、 2位以下を大きく引き離し、誰もが彼らの優勝を確信していた。 しかし、チェッカーフラッグ30分前に起きたマシントラブルで、無念にもリタイヤの結果だった。 その数年後、エディー・ローソンと組み念願の8耐チャンピオンに。 あれから何年になるのだろう。 2年くらい前だっただろうか、彼がNHKの番組にツーリング指南の 講師として出演しているのを見た。 レースに参戦していたときの鋭い眼差しはなく、やわらかい表情だった。 当時の面影を残しつつ、方言は消えてシブイおやじになっていたのが なんだか、可笑しかった。 ワタシも同だけ歳を重ねているのだけれど。 もう一度、3人で会う約束。 彼もワタシもオジサン、オバサンになってしまっているのに、ひとりだけ 若くてきれいなままのヒトがいる。 堀さんは、ずるい。 人と出会うって、人生そのものなのかな。 あのレーシングチームに連れて行ってくれた彼との出会い。 あの出会いがワタシの 「オートバイな人生」 の始まりだったような 気がする。 人と出会うことで、新しい自分を発見する。 人生をも変えてしまう、人との出会いもある。 オットとの出会い、出産というわが子との出会いが その最たるものだ。 もちろん、堀さんとの出会いも。 オートバイにかかわりながら出会ってきた人だけに限らず、 学生の頃からの友人、家族を通じて出会った人たち、 他の趣味で仲良くなった人たち、もちろん仕事の上で 出会った人たちも。 平均寿命からすると、折り返し地点は少し過ぎてしまったが、 これからどんな人との出会いがあるのか楽しみでアル。 ホントはおちゃめなんです、堀さんは。 毎日、バイクのことばかり考えていた高校生のころ。 怖いもの知らずで、コレをしたい、と決めたときには すでに身体が動いてしまっている性格。 周りにどんな目で見られても、ただただ、バイクに乗りたくて サーキットを走りたくて、レーサーを夢見ていた。 17歳の高2の時、友人に紹介してもらった神戸のレーシングチーム。 早朝の六甲山が、トレーニングの場所だった。 岡山のローカルサーキットでのレースにも毎月エントリーしていて、 0. 1秒でもラップタイムを縮めること、お立ち台に立てることだけを考えていた。 そんな時だった。 堀さんが企画した女性だけのロードレースが鈴鹿GPのエキジビジョンで 開催されることを聞いた。 鈴鹿サーキットでのレースデビュー。 レースに参戦できたことと同じくらい、堀さんに会えたことが嬉しかった。 ワタシが15歳のときにナナハンで世界一周をしたことは、雑誌やテレビで 知っていて、ずっと憧れていたのだ。 身長167cmの細身の彼女は美しく、その存在はパドックで際立った。 どんな男性ライダーよりもレーシングスーツがよく似合い、素敵だった。 リッターバイクを操りコーナーに消えてゆく彼女は、とても迫力があった。 初めて会ったとき、彼女は29歳、18歳の小娘から見ると、大人の女性である。 ひとまわり近くも歳が離れた堀さんと、どうして気があったのか不思議なのであるが、 ワタシが大人だったというより、彼女がいつまでも少女の心を持ち続けて いたからだとおもう。 以来、耐久レース、イーハトーブトライアル、ツーリング、サハラ縦断、 東京と兵庫から車を飛ばし、浜松のスズキのテストコースで耐久のマシンや サハラのオフ車を何度もテストした。 あるときは、バイクを使わず彼女の運転する車で軽井沢へ旅行したり、 温泉にいったりもした。 東京と兵庫と距離は離れていたけれど、互いの家にもよく泊まったり。 彼女にもらった思い出は数限りなく、そして深い。 ワタシの知っている彼女は、彼女の生きた36年間のうちの、たった7年間 だけである。 しかし、その7年間も含め、彼女がバイクに乗っていた10年あまりの間に 彼女が残したもの、 それがまさにリョウさんが伝言板に書いてくださった 「類稀なる」 になるのであろう。 雑誌や、たくさんある著書では知ることが出来なかった ワタシが知っている彼女の魅力を少しずつ紹介していけたら、 と思う。

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