創価学会 仏教。 『創価学会』を伝統仏教の僧侶はどう見ている? 意見を聞いたらズバズバ返ってきた / 勧誘の問題やカルトかどうか……など

創価学会は仏教(仏法)ですか?その理由もお聞かせ下さい。 ...

創価学会 仏教

【序】仏教とは何か 「仏教とは何か」「とは何か」これを問うてみることは、どなたにとっても有意義だと思います。 両者の比較も興味が尽きないでしょう。 ただし、仏教は広大無辺で、そもそも定義すら困難なものです。 は伝統的な仏教なのか? おそらくこれを否定するもいるでしょう。 それは、何をもって「仏教」とするか、という問題です。 事は仏教の歴史に関わっております。 「仏教」と一口に言いますが、少なくとも (1) (2)部派仏教(、大衆部) (3) に分類する必要があります。 【1】と 、いわゆる釈迦(シャカ)は紀元前5世紀頃ににいた人物と言われます。 彼の生涯の記録や彼の教えは生前には文書化されず、今日まで残っている仏典は彼の死後数百年後に文書化されたものです。 原始仏典は釈迦の言葉に近いとされます。 釈迦は自分自身を「」(悟った者)と理解していたようですが、それは神的=超越的存在ではありません。 原始仏典にも「神々」や「悪魔」が登場しますが、それらは現世的であって、時空を超越した者ではありません。 「すべて生けるものは老いて、壊れ、死滅する。 その法則から逃れられるものは無い。 それなのに、若いこと、健康であること、生きていることに執着するから、苦しむのだ。 その執着を捨てて、あるがままを受け入れたら、平安な心が得られる」。 釈迦が説いた教えは、おそらくこのようなものであったと思われます。 その「平安な心」を「涅槃」(ねはん)と言い、その境地に至ることを「解脱」(げだつ)と言います。 このような原始仏典の教えはに近い、と言われます。 は「自力」の道だったのです。 ただし、釈迦の入滅(死)直後から、弟子たちによって彼の神格化が始まりました。 釈迦だけを超越者また救済者として信仰する仏教は、部派仏教と言われます。 部派仏教は戒律と教団を重視する保守的なと、進歩的な改革派の大衆部に分かれました。 はインドの南部、、東南アジアで栄えて、今日まで続いているため、「」とも呼ばれます。 【2】と日本仏教 は、釈迦のように出家した男性の僧侶が中心であり、「自力」の性格が強く残っています。 それを「小乗」と批判して、もっと広い教えと実践を求める運動が、紀元後1世紀にインドで起こりました。 それが「」です。 これを大成したのはナーガールジュナ(龍樹)とされますが、正確な史実は確定できません。 は、インドのや、の、さらに、など諸々の宗教の影響を濃厚に受けています。 大乗仏典には「菩薩」(ボサツ)や「」(ニョライ)と呼ばれる救済者が次々と登場します。 が依拠した経典は、大乗仏典の一つである「」ですが、これにも無数の菩薩やなどが描かれています。 大乗仏典も釈迦が説いた形となっていますが、歴史上のゴータマ・シッダルタに由来するテクストはほとんどありません。 日本に仏教が伝わったのは6世紀と言われますが、日本の仏教は、ほとんどの宗派がです。 を「」と「」に分ける見方もあります。 は、やなど的な宗教の影響を濃厚に受けた、仏教です。 9世紀の始めに、渡唐した・によって、多くの仏典が日本に伝えられました。 実はその中には、古代東方の一派である「 」の教典も含まれています。 ・がから仏典を借りて、にその写本を残したことは、有名です。 没後、円仁、が続いて渡唐し、が請来した経典の全てと文献や法具を持ち帰って、 を打ち立てました。 、12~13世紀に、日本仏教の中心地・で学んだ僧侶たちが、日本独特の仏教を発展させていきました(鎌倉新仏教)。 とは浄土経典を根本としてそれぞれ浄土宗とを開き、()と()はを広めました。 そして、はを根本として()を開いたのです。 a 【3】は現代の新仏教である 最初に述べたように、「は伝統的な仏教なのか」という根本問題があります。 「仏教」の定義は難しく、無いに等しい、ということも最初に述べました。 ですから、の皆様が「自分たちは伝統的なだ」と主張なさっても、一般的には否定できないと思います。 ただし、他の仏教諸宗派の方々には、「は伝統的な仏教である」という主張に違和感を感じる人も、少なくないでしょう。 なぜか? それは、仏教の成立要件として、 (1)仏(、菩薩) (2)法(仏典) (3)僧(僧侶) の「」を挙げるのが、他の宗派では一般的だからです。 これによって定義される「仏教」は、としての普遍性を獲得しています。 では、はどうでしょうか? (1)を仏とする。 ・の本門の板を御本尊としていたが、破門されたため、それを書写して板に彫刻したものを 御本尊としている。 しかし、両者の違いが問題となっている。 (2) (方便品・寿量品)と『 大聖人御書』を経典とする。 (3)本来、の講(信徒団体)であったため、破門された後は、僧侶のいない を行っている。 これは伝統的な「仏教」と言えるのでしょうか? 日本独自の現代的「新仏教」ではないでしょうか。 【結論】は仏教と何が違うのか? では、ゴータマ・の悟りは哲学であり、倫理であり、科学に近いものです。 の法則(熱力学の第二法則)に気づいて、それを世界観や人生論に昇華したのでしょう。 釈迦を神格化することによって仏教は宗教となり、他宗教の神々を取り込むことによって、となりました。 そもそも(宗教混淆)こそ仏教の本質であり、それゆえ仏教は広大無辺、定義付けが不可能な宗教なのです。 ですから宗教学的には、だけを特別視すべきではなく、他の仏教系諸宗派との違いは「伝統」だけであり、「」はその「伝統」を象徴する「記号」に過ぎません。 においては、その「伝統」が歴史性の乏しい「神話」に基づくものであることは、すでに述べたとおりです。 これに対して、はの歴史的実在から始まっており、それに根拠付けられています(コリント人への第一の手紙15章1~11節 参照)。 人類の救い主は、人となられた神、人類の罪を代わりに負って死に、復活されただけです。 歴史上、他にこのようなお方はいません。 どの宗教にもいません。 の実在、これがと仏教をはじめとする他宗教との決定的な違いです。 「わたしが道だ。 真理だ。 誰でもわたしを通してでなければ、御父のもとへ行くことはできない」 の御言葉(による14章6節 私訳).

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創価学会は他宗教に厳しいの?宗教をどのように捉えているの?

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ブログ応援頂ける方はポチッとお願いします。 (一日一回有効です!) ブログランキング 最近「どうして創価学会の人は神社参拝や七五三、結婚式などを嫌がるのか」という相談が寄せられました。 これについては正直「え、今時そんなことないんじゃないの?」というのが感覚でした。 確かに昔は他宗教へ接することは厳しく排除しており、 「神社の鳥居をくぐるな」とか、「地域の祭で神輿は担ぐな」とかあったらしいです。 だから七五三(神道系のイベント?)とか結婚式(キリスト教系のイベント?)について、 嫌がるというのもまあ分からなくはないです。 しかし今は「地域のイベントには積極的に参加して地域の一員として頑張ろう」くらいのノリだと聞いていますし、クリスマスパーティーはやるな!なんてことは全くないと思います。 そんなわけで現在の創価学会が他宗教に対して明確に敵意をむき出しにするというのは過去因縁のあった宗門くらいと思うわけです。 (ちなみにこの辺りの創価学会の歴史についてはジャーナリスト田原総一郎さんの「創価学会」が詳細に調べていていい感じでした。 しかし、確かに教えの中で「正しい宗教はこうだ」とか「聖邪ハッキリさせるべし」など、 「誤った宗教」というものに対しては毅然とした態度で臨むべしというところがあるのは事実だ思います。 そこで「どうして創価学会は他宗教に厳しいのか。 宗教をどう捉えているのか」という点について、 私がこれまで勉強してきたことや、そこからの私なりに理解したことを整理しておきたいと思います。 このネタはいつか書きたいと思っていたのですが、なかなかまとめきれなかった内容でして、 書き出したら結構長くなってしまいました。 しかもまだ完結できてない感じです。 気長にお付き合いください。 仏教は神様を崇める宗教ではない そもそものところから入ると、仏教(創価学会は日蓮仏法の団体です)が神様を崇めるような宗教ではないということがあると思います。 仏教で説いているのは成仏=仏になること。 これって、神様になることではなくて人間が悟りを開いて「ブッダ」のようになることをさします。 じゃあ神の存在を否定しているかというとそんなことは無くって、仏教にはインドのヒンズー教系の神様がたくさん出てきます。 ただこれらの神様はあくまでもブッダを守護したり、導いたりする存在です。 「神様に頼って何かをしてもらう」のではなく、その助けは借りることがあっても「自分自身が悟りを開く」ことが大事なわけです。 神様の存在を認めつつ、あくまで大事なのは自身の悟りというのが仏教の面白いところだと思います。 神様はあくまでも悟りを開くための修行に勤しむ人を守ったり導いたりする存在であって、主役は悟りを開く人自身というのが仏教の世界観だと思います。 そのため神様を絶対視していないのですが、否定もしていません。 だから本来は他宗教との相性も良いと思います。 キリスト教やイスラム教のように一神教だと、自分のところの神様が絶対なので、他宗教の神様を認めることができないですよね。 そんなわけで仏教はもともと他宗教に対して融和的なスタンスになって良いはずなのです。 (私なりの解釈です) でも、日蓮仏法はまた少し違うスタンスです。 日蓮仏教は他宗派に厳しい 本来他宗教と融和的になる(はず)の仏教において、日蓮仏法の他宗教に対するスタンスは非常に厳しいものです。 これは日蓮が他宗教、特に「誤った宗教」に対しては断固とした態度をとるべしと言っていたからです。 日蓮が活躍した時代は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱える「念仏仏教」が日本全国で流行った時代です。 歴史の教科書でも聞いたような気がしますが、 「南無阿弥陀仏とさえ唱えれば悪人でも成仏して極楽浄土にいける」というのがその教えです。 南無阿弥陀仏とは「阿弥陀如来(あみだにょらい)に帰依する」ということなのですが、 要は「阿弥陀様にさえ頼れば大丈夫! 難しい修行とかいらないから、みんな南無阿弥陀仏と唱えなさい!」 という感じの教えなわけです。 古い仏教はもともと出家して僧侶になって、修行しないと成仏できないという考え方でした。 (これを小乗仏教、上座部仏教と呼びます) しかし、歴史が進むに連れて教えも変化して行き、「より多くの人を救うために僧侶以外も成仏できる」ような考えに派生して行きます。 これが大乗仏教であり、念仏仏教もその流れにあるわけです。 確かに多くのひとが救われる対象になったまでは良いのですが、 「悪事を働いても南無阿弥陀仏とさえ唱えれば大丈夫」というのは、 「この世で頑張っても無駄だから来世さえよければいいや」という状況を生み出します。 当時の日本は自然災害や飢饉で散々な状況でありました。 「この世は辛いけどせめて来世では幸せになる」というのは人々のなけなしの希望であると同時に、 ある種の「諦め」を生むことにもなります。 そんなわけで自殺者や悪人が増えることになり、 当時仏教の神髄を究明していた日蓮は、「念仏仏教が流行っても全然世の中良くならないじゃん!」 というのが問題意識としてあったわけです。 そこで日蓮はそもそも今日本がこんな悲惨な状況なのは間違った教えが広まっているからだ。 念仏仏教を信じ続ければ国が滅ぶ。 ということを当時の執政であった北条氏に進言します。 しかし、念仏宗教全盛の時代です。 当然他宗から猛反発をくらい、あらゆる圧力を受けます。 その結果、日蓮は離島への流刑や打ち首寸前になったりなどなど、それはひどい有様でした。 しかしそれでも日蓮は誤った教えを否定し続けます。 そして正しい教えである「法華経(ほけきょう)」に帰依すること「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」こそが人々を真に幸福にするのであるととなえ続けるのです。 創価学会の宗教の捉え方 そんなわけで日蓮の教え自体がかなり他宗教に対して攻撃的な考えを持っているのですが、 創価学会の他宗教に対して厳しい態度の要因には、さらに創価学会自身の歴史が関係していると思います。 数多くの日本人と恩師の命を奪った誤った宗教 もともと創価学会は日蓮正宗という、日蓮の教えを受け継いだ仏教宗派の門下として存在していました。 初代会長の牧口さんは小学校の校長であり教育学者でした。 「価値論」という考えを体系化したりとかなり熱心に教育学に取り組んでいました。 牧口さんの小学校で働く教員が創価学会第2代会長の戸田さんでした。 戸田さんも日蓮正宗に入ります。 創価学会はもともと戦前に牧口さんが「創価教育学会」という名で組織した教育学を研究する団体でした。 しかし時は第2次世界大戦になります。 その時代は「国家神道」という天皇を神と見立てる宗教が日本の国教であり、 その宗教を信じない人間は逮捕され、時に死刑になる時代でした。 国家神道の名のものとに多くの日本人が戦争に駆り出されました。 つまり「宗教」のために日本人は戦争で命を落としたとも言えます。 そして国家神道に帰依することを断り続けて刑務所に入れられていた 牧口さんが獄死します。 戸田さんも刑務所に入っていましたが、なんとか生きて出てきます。 恩師を死に追いやったもの、多くの日本人の命を奪ったもの。 その背景にあるのは「国家神道」という宗教でした。 戸田さんはそのような状況を見て 「間違った宗教を信じるほど人を不幸にするものはない」と感じます。 そして 間違った宗教の恐ろしさを知っているからこそ、世の中を幸せにする「正しい宗教=日蓮仏教」を広めることを目指して爆進して行きます。 これが創価学会の勃興期になります。 第2代会長戸田城聖は科学を否定しない 池田さんが師匠である戸田さんを描いた「人間革命」の中でも、宗教に対する話を色々と出てきます。 戦後の混乱にあって、新興宗教が乱立していく中で、怪しげな宗教にはまりお金だけ巻き上げられて、ちっとも幸せになるならない人。 金のために宗教を利用する人達。 面白いのは「大事なのは心なのです!」とか「精神さえ豊かになれば人は幸せです!」なんていう風に、 私たちが典型的な宗教として想像するものに対して、戸田さんや当時の学会員は明確に「NO」といっています。 心だけでなく、体も健康でないといけない 精神だけでなく、生活も豊かになるべき というか、そういうことを実現できないと宗教の意味はない。 真に人が幸せになるならないのであれば宗教の価値はない。 という感じで、とかく観念論に陥りがちな宗教に対しては厳しく断罪して、 実際に生活に役立ってこそ宗教である。 という感じの考え方をしています。 また、戸田さんは理数系が得意だったこともあるせいか(理数系の参考書を作成したりするレベル)、 科学的なものの考え方を大事にしていました。 宗教なんて非科学的なものだと当時の日本人ですら感じていました。 (いわんや現代人はもっとそう思っているでしょうね) でもそれも、宗教は生命の科学である。 という立場であり、 科学と宗教が相入れないものではないとしています。 だから「他宗教をやっている人間100名と、創価学会をやっている人100名を毎年観察して、それを何年も繰り返して比較すれば良い。 」なんていう風に、なんなら科学的なアプローチで検証したっていいじゃない、 ということまでスピーチしていたりします。 こんな感じで「誤った宗教による不幸」や「科学的で実質的な考えかた」により 他宗教が人を不幸にするのであれば徹底的に批判をしていた節はあります。 他宗教に柔和になった創価学会 そんな創価学会ですが、最近は他宗教に対して柔和になりました。 もともと 創価学会の所属した、日蓮正宗も他宗派や他宗教には非常に厳しく接していたようです。 平成に入る頃までは創価学会は相変わらず日蓮正宗の門下でした。 だから古くは日蓮正宗の教えや関係もあって、神社や教会はもちろん、 地域のお祭りも参加するなというようなこともあったようです。 しかし 20年くらい前に色々あって、日蓮正宗とは別れて、創価学会独自の道を歩みはじめました。 その後は 他宗教への態度も軟化し、むしろ「積極的に地域に打ち解けるべし!」という感じになっています。 人を不幸にする宗教や団体にはもちろん毅然とした態度で臨むわけですが、 地域の祭りとか、クリスマスとかのイベントごとを何でもかんでも宗教に紐付けて考えるようなことはなくなったわけです。 また、他宗教に関しても、対立ではなく尊重しあう関係を目指しているように見えます。 (最近もローマ法王に創価学会の首脳陣が謁見に行ってました) この辺りは私もまだまだ勉強中なのですが、 そこには第3代会長であり、名誉会長である池田さんが「世界広宣流布」を目指していく中での 多様な人種、文化と融和を図っていったというところも影響をしているように感じます。 このように、仏教の考え方、日蓮仏法の考え方、創価学会自体の考え方&歴史によって、 創価学会は他宗教に対して厳しいという話になっているのかなと思います。 ただ繰り返しですが、日蓮正宗と袂をわかってから随分とその辺りは軟化し、 創価学会と因縁のある宗教や団体(日蓮正宗や共産党)には相変わらず攻撃的なわけですが、 それ以外の宗教や団体とは積極的に融和を測ろうとしているように見えます。 もう少し勉強して、また自分なりに整理ができたら書いて見たいと思います。 関連記事:.

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『創価学会』を伝統仏教の僧侶はどう見ている? 意見を聞いたらズバズバ返ってきた / 勧誘の問題やカルトかどうか……など

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今年に入ってから、ニュースでよく耳にするようになった宗教団体といえば「幸福の科学」だ。 ご存知の通り、女優の清水富美加さんの出家騒動で注目を浴びた宗教団体であり、以前に当サイトでは、という記事をお届けした。 すると、一部から 「創価学会についても同様に教えて欲しい」との声が……。 ならば聞いてみるか! というわけで、現役の僧侶に『創価学会』をどう見ているのか質問したのでレポートしよう。 天神九十五さんは、現役の僧侶(曹洞宗)にして、大学で宗教学の講師もしており、おまけにカルト問題の研究・啓発活動もしているという。 つまり、宗教にもカルト問題にも詳しい人である。 そんな天神九十五さんに、創価学会について色々と聞いてみた回答が以下の通り! 【創価学会にまつわるQ&A】 Q. 創価学会は仏教の一派なのでしょうか? A. 「仏教系の新宗教(新興宗教)の1つであると考えています。 なるほど……。 それでは、創価学会と仏教の関わりについて教えて下さい A. 「創価学会は、教育者達が日蓮聖人の教育精神を活用する『創価教育学会』として発足したのが始まりです。 その後、初代会長である牧口常三郎氏が折伏(しゃくぶく)を受けて日蓮正宗に帰依をし、日蓮正宗の講の1つに……難しい言葉が続きますが、 分かりやすく簡単に言うと、初代の会長が日蓮正宗に入信し、創価学会が日蓮正宗の信者団体として認められたのです。 ただし、 1991年に創価学会は日蓮正宗から破門されています。 そして最近の創価学会は、独自の本尊観や仏陀観を打ち出そうとしている印象がありますが、今でも基本的な思想や立場は日蓮正宗の教義体系に負っているところが多いと感じます。 かいつまんでザッと言えば、こんなところでしょうか」 Q. 『創価学会 勧誘』でグーグル検索すると、「しつこい」「怖い」という主旨の記事やコメントがいくつも見受けられます。 その真偽は置いておいて、「勧誘がしつこい」という意見が少なからずあるのは何故だと思いますか? A. 「1951年から、当時の会長であった戸田城聖氏の呼びかけで、全国的に大規模な勧誘運動、いわゆる『折伏大行進』という一大布教活動が実施されました。 この時にはかなり強引な活動を行ったようで、その印象がいまだに強いのではないでしょうか。 また現在でも、 創価学会の支持政党である公明党を応援するために、選挙前になると学会員が電話をかけてくることがあります。 そのイメージが払拭できていない点も、『勧誘がしつこい』というイメージを持たれる原因の1つかと思います。 ちなみに、 かつてウチのお寺にも『ここを明け渡すべきだ』というような押しかけ問答を創価学会関係者にされたことがあったようです。 迷惑な話です」 Q. もし、「創価学会には入りたくない」と思っている人が執拗に勧誘された場合、どのようにすればいいと思いますか? A. 「しつこいだけの勧誘であれば、 何度も断るべきでしょう。 信教の自由が憲法で保障されている日本では、誰かから信仰を強制されることがあってはなりません。 また、入信を迫る上で拉致監禁や脅迫などの違法行為がもし行われたのであれば、警察や弁護士などのしかるべき立場の人に頼んで、刑事事件にしてもらうべきです。 ただし、あくまでも『もしあったら』であり、私が『創価学会信者がそこまでの違法行為をした』との話を実際に聞いたわけではありません」 Q. 曹洞宗をはじめとした伝統仏教で、信者になってもらうためにしつこく勧誘することはあるのですか? A. 「他の伝統仏教教団まで確実に同様かというと自信はないのですが、少なくとも、曹洞宗ではそこまでのしつこい勧誘はしていないと思います。 また、私自身は行いません」 Q. ズバリ、創価学会はカルト宗教だと思いますか? A. 「日本では、『カルト』の定義は極めて曖昧であり、その認定は難しいと思います。 ただ、1990年代に フランスの国民議会は、『セクト(カルト)として注意するべき団体』の1つとして創価学会を挙げています。 リストアップされた団体は多数ありますので、創価学会を狙い撃ちしてフランスの国民議会が指定したわけではないでしょう。 ちなみに、フランスは外国からの宗教の流入に敏感であるという風土もあります」 Q. 日本と海外では、カルト宗教の基準が違う? A. 「はい。 カルトの定義が曖昧な日本では、 かつてのオウム真理教のように、明らかに教団ぐるみの犯罪を犯した団体以外はカルト宗教だと認められない印象があります。 しかし その基準が明確になれば、オウム真理教以外にも問題視されるべき団体や人物が出て来るのではないでしょうか。 例えば仮に、周囲に迷惑をかけるかどうかを基準とする場合、以前のオウム真理教のような団体だけが『迷惑行為』は行っているわけではありません。 我々 伝統教団の僧侶にも迷惑行為をする人がおりますし、創価学会のような新興宗教の信者にも、相手の事情を考えずに自分の価値観・正義感を押し付けてくる人がおります。 カルト宗教、新興宗教、伝統宗教の枠組みに関係なく、それらの行為は『おかしい』という話になるべきだと思います」 ——以上である。 もちろん、『創価学会』にかぎらず宗教に関する考え方は様々であり、どのような宗教を信じるのも人の自由である。 だから、必ずしも1人の意見が絶対というわけではない。 ただ、個人的には「天神九十五さんのように宗教に詳しい人の意見は勉強になる」と感じたのだが……いかがだろうか。 ・第二弾を予定 とにかく、答えにくい質問にもズバズバ答えてくれた天神九十五さん。 これはもしかして…… もっとアレな質問にも答えてくれるかな? 政党的なところの意見も聞けちゃったりするのかな? というわけで、質問の第二弾を近日中にお届けするぞ! お楽しみに!!

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