瞳 を 閉じれ ば あなた が まぶた の うら に いる こと で。 瞳を閉じればあなたがまぶたの裏に居ることでどれほど強くなれた...

まぶた X まぶたのうら

瞳 を 閉じれ ば あなた が まぶた の うら に いる こと で

ご飯と一緒に小さなお皿にのってついてくるお新香だとか、食後のちょっとしたデザートみたいであれたらいいかもなぁと、妹と過ごして思った。 なかったらなかったで平気だし残念ってほどでもないけど、あったらあったでちょっと楽しく頼もしい、ぐらいの存在。 離れた場所にいる大切な人たちには、私がそばにいなくても、全然大丈夫であってほしい。 私がいないことで、困ったり疲れたりしてほしくない。 けれどだからといって、いなくてもまったくどうでもいいと思われるのも悲しい。 だから、私は彼らにとって、主食のような最重要レベルの存在ではなく、お新香とかデザートぐらいの重要性でありたいのだ。 大抵の場合は別になくても大丈夫な、必要ってほどでもないお新香とかデザート。 だけど、それでも、どうしても食べなければってときがあったら、つまり何かそういう「いざというとき」には、どうとでもしてとんでいくから、ぱぴこは呼べばとんできてくれるもんだと思い込んで、その面では安心しきって、日常を過ごしていてほしい。 この4年間、私が家族と離れていても、そのことで寂しくなって泣いたりはせず暮らすことができたのは、私がそばにいなくても彼らは私を絶対に忘れないで過ごしてくれるし、何かがあればとんできてくれる、と、最初から信じきっていたからだと思う。 そう信じきっていたから、最初のころ心細さや不安はすごかったけど、そこまで寂しい気持ちにはならなかった。 だから、私も、彼らにとって、特に去年から私と同じように一人暮らしをしている上の妹にとって、そういう存在でいたいなぁと、思うのだ。 なくても大丈夫なお新香やデザートぐらいの位置にいて、必要に応じてつまんでもらいたい。 こんなん、キレイ事かな。。 とは、いってもなぁ。 私どうも案外自己主張がつよかったりするから、心がけても、かなり癖のあるお新香とか、食べきれないサイズのデザートとかに、なっちゃってるんだろうな。 あ、今日は、。 ********* 「白夜行」の日。 今日はまた一段と、暗くて重くて残酷だった・・・。 亮司も雪帆も、辛い過去のせいで生殖機能が健康ではなくなっていて、雪帆はそのことがわかったときほっとしたのだと言い、亮司もまた、自分の遺伝子なんてろくでもないから残さないほうがいい、と言っていた。 雪帆は、自分の子どもができても愛せそうにないから、とも言っていた。 子どもを生み育てたいと思うことは、ごくあたりまえの感情だと思っていたけれど、それは、自分の命を愛していてはじめて生まれる感情だったのだなぁ・・と、気づいて、悲しくてたまらなくなった。 自分の子どもをいらないと思ってしまうほど自分の命を愛せないなんて、悲しすぎる。 そんなこと、あっていいことではないと思う。 あぁぁ・・・。 亮司は、彼のことを愛そうとした女性を、裏切った。 雪帆は、自分を孤児院から引き取り、大切に育ていつも心配してくれていた「お母さん」を、裏切った。 こんな孤独で苦しいことってないじゃないか。 自分を想ってくれる人のことを大切にすることが許されていないなんて。 裏切られたふたりは、彼らを責めなかった。 少なくとも責める場面は描かれていなかった。 ただ、憐れんでいた。 生き地獄。 まさに、現代版の罪と罰って、感じ。 雪帆役の綾瀬はるか、最初のころより、どんどん演技に熱がはいって、雪帆になりきってる気がする。 視線の力加減や涙を流すタイミングが、うまいなぁと思った。 役者さんってすごいなぁ。 山田孝之は、表情がイチイチ可愛かった。 なんか今日はすごく残酷な内容だったのに。 可愛さが、やっていることの残酷さを際立たせているような。 わざとかわいくしてたのかな。 だったらすごい。 ササガキは、怖さとしつこさが増している。 もうやめてほしい。 ************** 以前つかっていた日記の記事を、すべてこの日記に移した。 今までこの日記のブックマークのところに、過去の日記という形でリンクをはっていたけれど、やはりひとつにまとめたかったので。 過去の日記は、いろんな意味で痛い日記も多かったけど、でもそれも移した。 日記なんて、読み返したら痛いもんさ。 それが日記というものさ、きっと。 読み返しても痛くない日記っていうのは、それは、本当のことを書いていないということのはずだし、私の場合。

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瞳を閉じればあなたがまぶたの裏に居ることでどれほど強くなれた...

瞳 を 閉じれ ば あなた が まぶた の うら に いる こと で

J-POPの歌詞の話になって、友だちは歌詞について、こんなツッコミをしてたことがあったのです。 「でも、歌詞を見てて、 なんでこのあとにこれが来るんだよ! さっき言いかけたのはどうしたんだよ!とツッコミ入れたくなることがあるんだよね」 って。 確かに! とかはそんなんばっかり。 そんな脈絡がなさそうなシーン、『3月9日』にもあります。 たとえば、2番のAメロ。 おかしいです。 月に見とれている主人公の洗濯物は、風に巻かれてちゃってますが大丈夫なのでしょうか。 彼にとってはツッコミどころ、私にとっては読みどころだ! 読もう。 そう思ってすぐ先を読んでみると、この疑問は、すぐに解決します。 続くBメロに解説が入っているのです。 Bメロの「上手くはいかぬこと」とは、Aメロの「風」が「洗濯物に絡ま」ること。 Bメロの「天を仰げば それさえ小さくて」は、Aメロの「月」が「きれいで見とれ」たこととそれぞれ呼応しています。 つまり、Aメロでたとえ話をしておいて、本当に言いたいことをBメロで改めて伝え直す、って構造になっているのです。 Aメロが例示、Bメロが解説、という関係になっているわけです。 表にすると、こうなります。 前半 but! 後半 Aメロ 例示 砂ぼこり運ぶ つむじ風 洗濯物に絡まりまります が 昼前の空の白い月は なんだかきれいで 見とれました Bメロ 解説 上手くはいかぬこともある けれど 天を仰げば それさえ小さくて ってことですね。 わからなかった部分が、わかるようになりました。 ここは、例示と解説の関係になっていました! 実は、 AメロとBメロは、ほかの部分も全部、例示と解説の関係になっています。 たとえば、3連と4連も。 溢れ出す光の粒が 少しずつ朝を暖めます 大きなあくびをした後に 少し照れてるあなたの横で 新たな世界の入口に立ち 気づいたことは 1人じゃないってこと 3連は全部、主人公の身の回りの身近な「例示」。 4連は全部、もっと抽象的で一般的な「解説」です。 前半は世界の話、後半は「あなた」の話、というのもきれいに呼応しています。 前半 後半 Aメロ 例示 溢れ出す光の粒が 少しずつ朝を暖めます 大きなあくびをした後に 少し照れてるあなたの横で Bメロ 解説 新たな世界の入口に立ち 気づいたことは 1人じゃないってこと 動と静の対比 AメロBメロの関係はどこもおもしろいですが、また2番のAメロBメロに戻りましょう。 この2つの連は、それぞれ前半に ネガティブな要素、後半に ポジティブな要素があります。 6連でいえば、「つむじ風」が ネガティブ、「白い月」が ポジティブです。 『TROPHY』でも出てきたように、風は動きのイメージがあります。 一方で、月は動きません。 ここに 動と静の対比があり、動がネガティブ、静がポジティブとして描かれているみたいです。 おもしろいのは、その組み合わせです。 動のほうがポジティブに捉えられることが多いそうなのに、ここでは逆です。 ネガティブ ポジティブ 動 静 つむじ風 白い月 続く8連を見てみましょう。 青い空は凛と澄んで 羊雲は静かに揺れる 花咲くを待つ喜びを 分かち合えるのであれば それは幸せ 「澄んで」「静かに」「待つ」たくさんの静的な単語が並びます。 そして最後に「それは幸せ」と結ばれます。 静がよきものとして捉えられていることは明白です。 それは「激動はないけれど、小さくても温かな家庭」という、家庭の理想像のひとつとリンクするかも。 サビの「瞳を閉じれば」もそうです。 瞳を閉じたときに広がるのは静的な世界です。 そこにいるのは「あなた」です。 外部の情報をシャットアウトしたときにできる瞳の中の世界は、静的な世界の極地です。 表にまとめるなら、こんな感じになるでしょう。 ネガティブ ポジティブ 動 静 つむじ風 白い月 澄んで・静かに・待つ 瞳を閉じれば この歌詞はこんな風に、静かで穏やかな未来を夢見ているんですね。 その穏やかさは、3月の暖かい日のイメージにぴったりです。 まとめ 前回の『奏』と、今回の『3月9日』、共通点は「季節」というフレーズです。 『奏』では、 君が大人になってくその季節が 悲しい歌で溢れないように というサビのフレーズで、「季節」という言葉が登場します。 『3月9日』では、 流れる季節の真ん中で ふと日の長さを感じます と、曲の最初に「季節」が出てきます。 どちらも、「月日」と言い換えてもいいし、「年月」でもいいし、「時」や「時間」であっても不自然じゃありません。 でも、「季節」という表現が選ばれています。 「季節」とか、「月日」とかって言葉は、だいたい同じ意味を持っています。 でもそのスパンが違いますね。 その中で、どちらの曲においても「季節」がちょうどよかったわけです。 『奏』では大人になるスピードをこの言葉を借りて表現しています。 普通は急に大人になったりしませんから、「年月」ぐらいの表現が普通は適切です。 でもここではあえてそれよりスパンの短い「季節」が選ばれました。 「日の長さを感じます」ですから「年月」を選んでしまったらちぐはぐですが、ここは「時」とかでも意味はおかしくなりませんよね。 でも 『3月9日』では「季節」を使うことによって、このフレーズに鮮やかな色がつきました。 「季節」って言葉には、ほかの表現とは違って色がありますよね。 それも踏まえてこの表現になっているんだろうなあと私は思います。 なにより、春になった、っていうちょっと明るい気持ちが、歌詞の中からにじみだしてくるように感じられるのはステキなことですね。

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3月9日

瞳 を 閉じれ ば あなた が まぶた の うら に いる こと で

水戸市の和田美紅ちゃん親子が来てくれました。 曲は、レミオロメンの「3月9日」です。 心に響きました~卒業式の歌だそうです。 瞳を閉じれば あなたが まぶたのうらに いることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私も そうでありたい 和田美紅ちゃんは、ピアノが大好きで笠間市のストリートピアノをよく弾きに来てくれます。 「水戸市にあると嬉しいな~」との希望です。 どなたか水戸市(水戸市か茨城県庁)にストリートピアノを設置しませんか?眠っているアップライトピアノがあれば大丈夫です。 笠間に事例があるので相談にのります。 曲は、レミオロメンの「3月9日」です。 心に響きました~卒業式の歌だそうです。 瞳を閉じれば あなたが まぶたのうらに いることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私も そうでありたい 和田美紅ちゃんは、ピアノが大好きで笠間市のストリートピアノをよく弾きに来てくれます。 「水戸市にあると嬉しいな~」との希望です。 どなたか水戸市(水戸市か茨城県庁)にストリートピアノを設置しませんか?眠っているアップライトピアノがあれば大丈夫です。 笠間に事例があるので相談にのります。

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