キネマ の 玉手箱。 海辺の映画館-キネマの玉手箱 劇場情報

海辺の映画館-キネマの玉手箱 (2020)

キネマ の 玉手箱

映画監督の大林宣彦さんが、肺がんのため4月10日19時23分に東京・世田谷区の自宅で死去した。 82歳だった。 大林宣彦監督 2016年8月にステージ4の肺がんと診断され、余命3カ月の宣告を受けたが、転移を繰り返すがんと闘いながら、自らの命を削って映画製作を続けた大林監督。 闘葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。 喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子が務める。 1938年に広島県尾道市で生まれた大林監督は、3歳のときに自宅の納戸で見付けた活動写真機と戯れるうちに映画作りを開始。 テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、CM作品数は3000本を超えた。 1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。 『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞した。 大林監督個人では、2004年春の紫綬褒章受章、2009年秋の旭日小綬章受章、そして2019年に令和初の文化功労者に選ばれている。 なお同作の公開は、新型コロナウイルスの影響による映画館休館のため、公開延期となり、近日公開を予定している。 『海辺の映画館』公開に向けて大林監督が寄せていたコメントは以下のとおり。 東宝映画からの招きで、門外漢が初めてメジャーの撮影所内で撮った『HOUSE/ハウス』から、ジャンルを選択すれば如何なる純文学も商業映画になり得ると学び、あの太平洋戦争の純真な軍国少年であった体験を元に、様々なジャンルの映画にその思いを潜めつつ「厭戦映画」を作り続けて来ました。 「売れない作家の女房になる覚悟」で61年間、僕の映画を支え「私が最初の観客よ」と世界と僕の映画を結びながら共に生きて来た大林恭子と、11歳で『HOUSE/ハウス』の原案者に名を連ねた長女千茱萸、ご亭主の絵の作家森泉岳土、そして親しい旧・新の世代の仲間たちと、今日も映画作りに励んでおります。 時代はいつか、個人映画ばかりになり、僕が願った映画作りの世になりました。 その個人の自由と権力者の不自由の証を、愉しんで下されば、と。 僕の正体が炙り出されれば、愉しいかな。

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海辺の映画館-キネマの玉手箱

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大林は1938年に広島県尾道市で、両親ともに代々医者の家系という家の長男として生まれた。 6歳の時から35ミリフィルムに手描きしたアニメーションを製作するなど、観る前に「自分で作る」ことから映画の世界に入り込んだ。 少年時代には、実家の持ち家の一つに住んでいた新藤兼人と一緒に映画を観に行ったり、小津安二郎の代表作『東京物語』の撮影を見学したりと、日本映画を代表する巨匠たちとの接点があった。 1955年に大学進学のため上京すると、当時はまだ珍しかった「8ミリカメラによる自主映画」をどんどん製作するようになる。 高林陽一ら他県の同志とも連携し、自主映画を着実に普及させていった。 大林は、日本の自主映画の先駆者だったのだ。 60年代中頃、まだ発展途上だったCM業界からの誘いを受け、CMディレクターとして活躍するようになる。 アラフィフ以上の世代にはお馴染みのマンダムのCMでのチャールズ・ブロンソンをはじめ、海外の有名スターを次々に起用、CM業界の地位向上にも貢献した。 1977年、『HOUSE』で商業映画監督デビューを果たす。 当時は、撮影所での助監督の経験もない、自主映画やCMディレクター出身の外部の人間が、大手の映画会社で監督を務めるということは前例がなかったが、大林が各方面を巻き込んだプロモーションを展開したことと、東宝内部でも営業部長だった松岡功(修造の父)や重鎮監督だった岡本喜八らの尽力で奇跡的に実現した。 これ以降、自主映画出身の監督が大手の映画会社の作品を手がけることが一気に増えていく。 その後も各社の映画からテレビの2時間サスペンスまでさまざまなフィールドで作品を発表し続けて、一躍トップ監督としての地位を築き上げた。 特に、1980年代前半から中盤にかけて発表した、故郷・尾道を舞台にした『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』はいずれも大ヒット、ファンによって「尾道三部作」と名付けられた。 アイドル映画、文学作品、大人向けのファンタジー、重厚な人間ドラマ…と、多彩なジャンルの作品をコンスタントに発表し続け、2010年代に入っても創作のペースは落ちなかった。 映画だけでなくAKB48のミュージックビデオの演出など、活躍の場も広かった。

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稲垣吾郎が大久保利通に⁉︎『海辺の映画館-キネマの玉手箱』4月10日全国公開決定&場面カット公開!

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映画『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』 細田善彦さん【インタビュー】 新型コロナウイルスの影響で公開延期となった 映画『』の公開が7月31日(金)に決定しました。 当初公開が予定されていた4月10日(金)、その一報が我々のもとに届きました。 大林宣彦氏、逝去。 残念ながら本作の公開の日を大林監督がこの世で迎えることは叶いませんでした。 しかしながら、数々の大林監督作品は私たちの心の中に生き続けていきます。 大林宣彦監督が新しい世代へ託す力強くて優しい最期のメッセージ。 誰も体験したことがないエンタテインメントの誕生です! 今回は、本作で 団茂役を演じた 細田善彦さんにお話を伺いました。 細田さんにとっても全てが大切な経験となった本作の制作を振り返っていただきました。 その細田さんのイメージが残っていたので、本作ではかなりエネルギッシュで、型破りな一面を楽しむことが出来ました。 細田善彦さん そう言っていただけるととても嬉しいです。 広島県の福山市に滞在して、尾道へ行ったり福山で撮ったりしました。 ところで、オファーを受けた時はどの様に受け止めて作品に挑まれたのかお聞かせください。 細田善彦さん 監督との出会いがちょっと特殊でした。 そもそもこの映画自体が何年か前に撮影しようとしていたもので、色んな都合でズレてしまったようです。 そのため、当初、メイン3人を予定していた方のスケジュールが合わず、それでオーディションが開かれたんです。 その時に、うちの事務所のマネージャーさんにも相談があって、僕のプロフィールを見た監督が「細田に会いたい」みたいなことを仰って下さったんです。 オーディションを受けるつもりで監督に会いに行ってみたら、ものの5分ぐらいで「 一緒に映画を撮ろう!」と握手してくださって、それで出演させていただくことになりました。 僕としては映画好きの毬男かな?と思ったりしてたんですけど(笑) まさか自分が不良っぽい役とは思わず、「こっち?へぇー!」って思ったのが最初に役をいただいた時の印象でした。 さらに、父親がお坊さんなので継ぐか継がないかという話もありました。 そんな団茂をどういう風に自分の中に取り込んで、演じていこうと思われたのですか? 細田善彦さん そうですね。 衣装や髪型を、撮影に向かうまでの間に監督を含めて何度も試行錯誤をしながらキャラクターを一緒に創っていったんです。 例えば、冒頭で登場する花柄のスーツ。 誰が想像したらあれになるんですか?っていう(笑)。 衣装合わせの最初にあのスーツを着たんですけど、自分の想像が及ぶ範囲を超えたところを監督が求めてらっしゃるのがよく分かりました。 僕は、カッコつけたチンピラみたいな役だから、 黒っぽいスーツかな?と、勝手に思っていたものが、まさかの花柄。 その様に監督が外見から細かく演出してくださったのでそれに合わせて心も完成されていったのだと思います。 しかも、ヤクザを気取った型破りな感じが、あの雨に濡れたせいなのか見え方が変わってきます。 細田善彦さん 団茂は、雨にずぶ濡れになりながら登場してくるのですが、あのシーンは初めて観た時めちゃくちゃ嬉しかったですね。 監督とのエピソードは沢山あり過ぎて何から話して良いか分からないですけど、あの登場シーンだけでも色々あったんです。 だけど監督が、「坊主の子だよなぁ。 そこから鼻緒が白い下駄を誰かが見つけて来るまで待機になったんです。 見つからなかったら今日の撮影は中止みたいな、そういう雰囲気。 自分にとっての撮影も最初だったので凄い緊張しましたね。 その結果、完成した、僕の登場シーンです。 撮影では1シーンごとにたくさんのドラマがありました。 歴史好きの鳳介と映画好きの毬男は、割と最後まで変わらない、劇中で5本の映画を体験することになるのですが、無知だった分、一番色んなことを吸収して、それによって成長していくキャラクターなんじゃないかなと思っています。 ところで、共演者の方々ですが、まず成海璃子さん演じる斉藤一美と恋仲を演じています。 成海さんも大林組初参加ですが、演じるに当たって何か会話はされましたか? 細田善彦さん これから撮影するセリフやシーンに対しての話は一切してないです。 成海さんとは本当にたくさんの時間を共有させてもらいました。 撮影以外でも他の共演者も含めて何度もご飯を食べに行ったりしましたね。 「今日の監督の演出びっくりしたね」とか、その日に 撮影現場で起きた話をつまみに飲んでました(笑)。 映画の最初にタップダンスや傘を使って踊るシーンがあるので、出演者みんなで練習をしましたね。 その部活のような体験がチームワークを良くしてくれたと思っています。 大林監督の作品に多数参加されているので、監督のことや大林組の撮影現場のイロハについて教えていただきました。 細山田さん自身はとても真面目な方で、年齢的にもお兄ちゃんでしたし、 現場のまとめ役?いや、もはや世話役でしたね(笑)。 僕、成海さん、山崎紘菜さんはふざけてばかりだったので、それをうまく細山田さんがまとめてくれてました(笑)。 厚木さんに関しては、不意に変な動きを始めるスイッチが入ったり、かなり自由な印象ですね。 スーパー銭湯に行くのにハマってましたね。 ちなみに希子役の吉田玲(よしだれい)さんはオーディションで選ばれたのですよね? 細田善彦さん それがオーディションじゃないんです。 この話も大林監督らしさが詰まっていると思います(笑)。 監督が映画祭でご覧になった作品に吉田さんが参加していたのを鮮明に覚えていらしたみたいで、今回キャスティングする際に「 あの映画祭で観た、あの映画の、主役の横にいたあの子だよ」って監督はおっしゃったらしいです(笑)。 勿論、事務所に入っているわけじゃないので、「どの映画祭だ?どの映画だ?どの子だ??」みたいな感じでキャスティングチームは捜し始めて、監督に出会わせて「そうそう」みたいな感じだったみたいです(笑)。 細田善彦さん ですよね(笑) 僕もビックリでした(笑) 希子役の吉田さんとは広島で初めてお会いしたんですが、それまで、写真すらなかったんです。 芝居を練習してたりすると、練習するなじゃないけど、段取りを決めるな、と。 つまり計算されたものって計算以上にならないんだと思うんです。 僕なんかの計算って、誰にでも見破られちゃうから、もうお前は余計なことを考えるなってことだと思うんです(笑) それは今スゴイ身に染みていて、僕が計算しても仕方ないなって思いました。 でも、そのお陰で初めてこの映画を観た時に、自分が見たことのない自分が沢山そこに居たので、凄く感謝してますし、面白かったです。 映画の中でどう役を演じるかじゃなくて、自分が映画の中でどう生きるかっていうことを教えていただいたと思います。 細田善彦さん その通りだと思います。 尾道と監督との繋がりは随所に感じるところがありましたか? 細田善彦さん この映画の本編で毬男の過去のシーンが出て来るんですが、それは、彼(厚木拓郎さん)が出演してる大林監督作品の「マヌケ先生」の映像なんですよね。 ちなみに、厚木さんのマヌケ先生での役柄は監督の子供時代の役だったんです。 あのシーンは台本に無かったので、厚木さんが一番ビックリしてました(笑) 「僕のお祖母ちゃんはね…」って一人映画館で毱男が語るシーンなど、撮影や編集が全部終わった後に追撮されたシーンもありました。 映画好きだった大林監督の役を彼(厚木さん)がやって、それが今度映画好きの青年の役として登場してるいるので繋がっているのかもしれません。 細田善彦さん あの詩も台本には載っていないんです。 ナレーションだったり、中原中也さんの詩だったりも全部編集の際に追加されたものなので、「そう編集されるのか!」って思いながら僕も観ていました。 また、本作では戦争の最中でも常に恋愛物語が展開されていて、戦争中だけど人が愛し合っている現実があるよ、といった目線です。 愛をもって物事を見ていくことの重要性を受け止めさせていただきました。 第32回東京国際映画祭レッドカーペット 細田善彦さん 今仰ったことって僕が大林監督と一緒にいると感じることだったりするんです。 大林組の撮影現場は「おはようございます」って監督と握手をして始まり、「お疲れ様でした」って握手をして終わるんですが、その時に監督は「お疲れ様。 今日の撮影あそこ大変だったよね。 」みたいな、ちょっとした感想と「 今日もありがとうね。 」と伝えてくださるんですよね。 自分の周りの人に感謝し、愛情持って接するという、ついつい忘れてしまいがちなことを監督からたくさん学ばせていただきましたね。 そういった、監督の愛情は画面越しに出てるんじゃないかなと思います。 細田さん個人についてもお伺いしたいのですが、本作の経験を経てこれからどんな俳優を目指そうと思われているのか教えてください。 細田善彦さん 大林監督との出会いもそうですし、どんな役と出会えるのかは運とタイミングでしかないと思うので、出会えた役にどんどん飛びついて行こうと思ってます。 実は2月にカンボジア映画に参加させていただいたんです。 日本人は僕一人、カンボジアの方に囲まれて撮ってたんですけど、もう面白くてしょうがなくて。 それも本当に運とタイミングで参加させてもらったんですけど、大林監督の作品も僕にとっては未知で物凄く良い経験になりましたし、そのカンボジアの映画も初めてのことだらけで本当に面白かったんです。 自分としては違う国でもいいですし、映画や映像というジャンルを通して、どんどん知らない世界、知らない国に飛び込んで行きたいです。 オファー待ってます!笑笑 本当にどこの国でもいいので中国でも、韓国でも、アフリカでも南米でも、もちろんハリウッドでも。 知らない所でのモノ作りが本当に面白かったので、自分の体が丈夫なうちにいっぱい映画作りに参加したいです。 初めてこんな映画を観ました。 多分、観ていただいたら僕の気持ちが分かっていただけると思うんですが、、、 なんて形容していいのかわからないですが、監督のエネルギーが爆発している作品だと思います。 確実に観たことのないものを観ていただけると思いますので、是非劇場で極上の映画体験を味わっていただきたいと思います。

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