ピエン 超え て パオン から の。 公共機関だけで行ける!ピエンツァの「昔ながらの」アグリツーリズモ

タバスコとマラカスの増田酢魔の素から的越す馬田(回文)

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彼女の名前はLido Pimienta リド・ピミエンタ。 スピリチュアルで透明感のある歌声は、一度聞くと強烈な印象を残し、中毒性抜群です。 私の乏しい知識で例えるならば、 ラテン版bjork!(もし気に食わなかったらごめんね、リドちゃん) リドの出身地、コロンビアの音楽であるクンビアに、シンセポップやエレクトロをはじめ、様々な音楽のスタイルを取り込んでいる彼女の音は、ラテン音楽の最前線とも呼ばれているんです。 日本ではまだまだ無名ですが、是非知ってもらいたいアーティストなので、今回は徹底的にご紹介します。 Wikipedia的な。 まずはこちらのMVから。 あぁぁぁぁ素晴らしいぃぃぃ。。。 Biography リド・ピミエンタはアフリカ系コロンビア人と、コロンビア北部、ベネズエラの国境付近に住む先住民、ワユー族の血を引くアーティスト。 出身は、コロンビアのカリブ海に面した港湾都市、バランキリャというところ。 現在はカナダに移民し、トロント在住です。 余談ですが、まさかのShakiraもバランキリャ出身! 今の姿からは全く想像できないですが、10代の前半はパンクバンドやメタルバンドで歌っていたリド・ピミエンタ。 しかしある日、ドラマーだった従兄弟から「君は本当に素晴らしい声を持っているのに、その声を無駄にしてるんじゃないか?」と言われたそう。 Sexteto Tabalaはコロンビアにおける、アフリカンコミュニティの音楽的表現の代表格。 Lido曰く、Sexteto Tabalaとの経験が、彼女の歌や審美的な部分を成長させてくれたんだそう。 ファーストアルバムとセカンドアルバムの間に6年もの期間が空いていたのは、美術評論家の学位を取るために奮闘していたから。 それと同時に、音楽制作に関してももっと深く学ぶためだったそう。 このタイトルは、世界三大ミスコンの1つであるミス・ユニバースで、2015年に司会のSteve Harveyがやってしまったミスにインスパイアされたとの事。 この出来事は当時、日本でもちょっとしたニュースになりましたね。 Steve Harveyがミス・コロンビアの優勝を告げ、優勝者に送られる冠を渡した後、ミスしていたことが発覚!本当の優勝はミス・フィリピンでした!と発表し、ミス・コロンビアは会場でたくさんの人が見ている目の前&全世界の人がテレビで見ている目の前で冠を剥奪されるという、ミス・コロンビアにとって、とても屈辱的で悲しい出来事でした。 この出来事を見てリドは「私は今まだコロンビア人?それとも今はカナダ人だからこれを見ても冷静でい続けるべき?」と考えたんだそう。 このアルバムは素晴らしいプロセスを踏んで作られたもの。 私が今どこにいるか、また、次はどこへ行くか表現するのに、とても良いことなの。 彼女は唯一無二の、個性的でカラフルな衣装もお洒落で、これからもっと多方面で注目されるアーティストになるんだろうなぁ。 私服もとってもお洒落なんですわ。 ちなみにリド、年齢不詳、雰囲気のあるベビーフェイスですが何気に30超えているの。 だから何って感じなんだけど 初めて知った時は驚いてしまった。。。 Field of heavenで。 彼女が気になった方は他の作品も見てみて下さいね。 feliz-dia.

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タバスコとマラカスの増田酢魔の素から的越す馬田(回文)

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ピエンツァは、ローマからフィレンツェの間にあるイタリア中心部に位置する、東西400mほどの箱庭のような小さな町です。 1996年に歴史地区が世界遺産に登録されました。 また、2004年に世界遺産に登録されたオルチャの谷とアッソ渓谷が広がるトスカーナの丘陵地帯の景色は、ヨーロッパで一番美しい田園風景といわれ、麦畑が一面に波打つ季節は心が洗われるほどの絶景を望めとても爽快です。 この街は美しい景色から「トスカーナの小さな宝石」と称されています。 街を取り囲むように造られた城壁と共に続く石畳の細い路地を散歩すると、石造りの家々が織りなす町並みが周りの風景に溶け込んだ空間的な広がるピエンツァならではの光景が見られます。 日本のガイドブックなどでは重要視されない小さな町ですが、観光客が多く集まる人気の観光地です。 ピエンツァ名物の一つには、羊で作ったペコリーノチーズがあり、8月の末にはチーズ祭り「Fiera del Cacio」が開催され、メインイベントではチーズ転がしという伝統行事も行われています。 地区対抗戦で、地区の名誉をかけ白熱する地元の人たちの姿はとてもユニークですよ!今回は、未完成のままなのに今も美しい姿を保つユートピア、ピエンツァの歴史に少しだけ触れてみたいと思います。 オルチャの谷を見下ろす標高491mの小高い丘に建てられた小さな町、ピエンツァ。 古代ローマ時代には既に存在し、コルシニャーノ村と呼ばれていました。 9世紀にはアミアータ山の大修道院がこの街を所有していたようです。 その後シエナの自治都市に移り、最後はシエナの貴族ピッコロミニ家の領地となりました。 この小さな町は、戦略上有利な場所にあったため何度も奪略に遭遇するという歴史も持っています。 15世紀のころのピエンツァといえば、シエナ県のコムーネの一つで小さな村落の一つでしかない上に周囲の影響を受けかなり衰退していました。 そんな街の運命を突如と変える素敵な事件が起こります。 1405年にこのピエンツァで生まれた育ったエネア・シルヴィオ・デ・ピッコロミニが、ピウス2世(在位1458~1464年)という名をもらいローマ教皇の座に就いたのです。 このピウス2世という人は、シエナ大学で学び、人文主義者ウマニスタと呼ばれた詩人、歴史家であり、歴史や地理、教育に関する数多くの著作を持つ文人として高名でした。 他も認めるアイデアマンで、外交にも優れていたようです。 そのピウス2世は、この衰退した簡素な田舎町となった故郷を、フィレンツェのようなルネサンス期の街にしたいと強く願い「理想郷」造りに挑みました。 コルシャーノ村を自分の名前に因んでピエンツァと命名しています。 このことでも彼の心がどれだけ強い郷土愛に満ちていたかを感じますね。 1458年に「この街を私の理想の街に変えてくれ」との命を受けフィレンツェから呼ばれたのは、初期ルネサンスを代表する彫刻家兼建築家のベルナルド・ロッセリーノでした。 彼は教皇庁の建設顧問と活躍した実績を持つ人物です。 教皇の深い学識をこの街に反映させ、雄大に広がるトスカーナの風景と建築物をうまく融合することを念頭に、1459年から工事に着手しました。 今でも石畳の細い路地として残る、格子状の道路で区画された街造りが印象的です。 この街の構成は、街の中心部の最も高いところに位置するピオ二世広場を中心に、ルネサンス的外観の大聖堂やボルジア館、ピッコロミニ宮殿などが取り囲むように建設されています。 この街は3年というとても短い期間で作られ、1461年にピウス2世とロッセリーノが共に亡くなったことにより現在も未完成のままです。 教皇が実行した街づくりは、イタリアにおける最初の都市計画となりました。 幾何学的手法や透視図法を応用し、建物全体に合理性、均等、対象を織り交ぜたルネサンス的都市空間を造り出しています。 既存の都市を自分の理想の街へと造りかえるという夢の実現化は貴重な歴史としての評価を受けました。 後のイタリア都市計画にも多大な影響を与えています。 未完成に終わってしまいましたが、ピウス2世が描いた理想郷にほぼ近づいていたように思います。 このユートピアを造るためにかかった費用は教皇が考えていた金額を遥かに超えていました。 ロッセリーノはこの街の見積もりを当初18000ドゥカーティと少なく報告したのです。 しかし、本当の見積もりは50000ドゥカーティ以上。 それを知ってもピウス2世は「完成させてみよ!」と都市改造に着手したそうです。 都市計画実現という壮大なロマンと故郷を思う熱い心には、代え難いものがあったのかもしれませんね! ピオ二世広場は、中世にあった広場をロッセリーノが都市改革によって造りかえた代表的な広場です。 小ぢんまりとした丘の上の改築だったため、大きな広場は壊され台形の広場と造りかえられました。 十分な広さが取れなかった分、遠近法を使い広く見せる工夫がされています。 他にも、広場の舗装された石畳を、周囲に建つ建物の床に見立て、空を天井として見せるなどの広場全体を一つの部屋にした演出も素晴らしいのです。 ピオ二世広場から城壁に沿って作られたカステッロ通りは、城壁の上を歩くような歩行者専用通りになっていてユニークな散策が楽しめます。 この通りから見えるオルチャの谷と田園風景は絶景です。 教皇とこの街を作り直したロッセリーノの名前が付いた東西を貫くメインストリートのロッセリーノ大通りはルネサンス様式の館が建ち並び壮観です。 至る所にこだわりと工夫が見られ、当時としては最新の知恵や技術を使って作られたと想像できます。 ロッセリーノの功績はフランシスコ会で世界最大の教会を造ったことでも知られています。 広場の南側に面して建つ、ロマネスク様式の教会を立て直して造られた大聖堂も見物です。 ファサードは三層構造で幾何学模様の破風の上にはピッコロミニ家の紋章が施されています。 八角形をした鐘楼も魅力的です。 内部は、ピウス2世がドイツに訪れたときに感銘を受けた、ハレンチルヒエン様式のラテン式十字型が採用されました。 第4礼拝堂にはシエナの画家ヴェッキエッタの代表作「聖母被昇天」などのオリジナル絵画も飾られています。 大聖堂の右には壮麗なピッコロミニ宮殿があります。 これはピウス2世の邸宅として建てられたもので、フィレンツェのルッチェライ館に着想を得て建てられています。 この邸宅には逸話があり、建築途中に視察に来た、ピウス2世がこの邸宅を見て「建築物の美しさと威容は、痛い出費を帳消しにする」とラテン語で残したようです。 寝室や書斎、居室どれを見ても豪華さとセンスのよさを感じます。 また、宮殿の裏側にある長い回路から見る中庭とオルチャの谷は素晴らしく見る価値ありです。 実はこの美しい町ピエンツァは北イタリア、ヴェローナと共に、2010年のアメリカ映画「ジュリエットからの手紙」のロケ地の一つになっています。

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コロンビア出身の天才ミュージシャン、Lido Pimienta(リド・ピミエンタ)

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彼女の名前はLido Pimienta リド・ピミエンタ。 スピリチュアルで透明感のある歌声は、一度聞くと強烈な印象を残し、中毒性抜群です。 私の乏しい知識で例えるならば、 ラテン版bjork!(もし気に食わなかったらごめんね、リドちゃん) リドの出身地、コロンビアの音楽であるクンビアに、シンセポップやエレクトロをはじめ、様々な音楽のスタイルを取り込んでいる彼女の音は、ラテン音楽の最前線とも呼ばれているんです。 日本ではまだまだ無名ですが、是非知ってもらいたいアーティストなので、今回は徹底的にご紹介します。 Wikipedia的な。 まずはこちらのMVから。 あぁぁぁぁ素晴らしいぃぃぃ。。。 Biography リド・ピミエンタはアフリカ系コロンビア人と、コロンビア北部、ベネズエラの国境付近に住む先住民、ワユー族の血を引くアーティスト。 出身は、コロンビアのカリブ海に面した港湾都市、バランキリャというところ。 現在はカナダに移民し、トロント在住です。 余談ですが、まさかのShakiraもバランキリャ出身! 今の姿からは全く想像できないですが、10代の前半はパンクバンドやメタルバンドで歌っていたリド・ピミエンタ。 しかしある日、ドラマーだった従兄弟から「君は本当に素晴らしい声を持っているのに、その声を無駄にしてるんじゃないか?」と言われたそう。 Sexteto Tabalaはコロンビアにおける、アフリカンコミュニティの音楽的表現の代表格。 Lido曰く、Sexteto Tabalaとの経験が、彼女の歌や審美的な部分を成長させてくれたんだそう。 ファーストアルバムとセカンドアルバムの間に6年もの期間が空いていたのは、美術評論家の学位を取るために奮闘していたから。 それと同時に、音楽制作に関してももっと深く学ぶためだったそう。 このタイトルは、世界三大ミスコンの1つであるミス・ユニバースで、2015年に司会のSteve Harveyがやってしまったミスにインスパイアされたとの事。 この出来事は当時、日本でもちょっとしたニュースになりましたね。 Steve Harveyがミス・コロンビアの優勝を告げ、優勝者に送られる冠を渡した後、ミスしていたことが発覚!本当の優勝はミス・フィリピンでした!と発表し、ミス・コロンビアは会場でたくさんの人が見ている目の前&全世界の人がテレビで見ている目の前で冠を剥奪されるという、ミス・コロンビアにとって、とても屈辱的で悲しい出来事でした。 この出来事を見てリドは「私は今まだコロンビア人?それとも今はカナダ人だからこれを見ても冷静でい続けるべき?」と考えたんだそう。 このアルバムは素晴らしいプロセスを踏んで作られたもの。 私が今どこにいるか、また、次はどこへ行くか表現するのに、とても良いことなの。 彼女は唯一無二の、個性的でカラフルな衣装もお洒落で、これからもっと多方面で注目されるアーティストになるんだろうなぁ。 私服もとってもお洒落なんですわ。 ちなみにリド、年齢不詳、雰囲気のあるベビーフェイスですが何気に30超えているの。 だから何って感じなんだけど 初めて知った時は驚いてしまった。。。 Field of heavenで。 彼女が気になった方は他の作品も見てみて下さいね。 feliz-dia.

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