台湾 と 中国 の 関係。 台湾問題

中国と台湾と香港の関係がよくわかりません。解りやすく簡単に教...

台湾 と 中国 の 関係

台湾の人々は、中華人民共和国 中国本土 のことを「大陸」と呼びます 英語だとMainland。 その言葉のニュアンスに、あまり好意的なものはありません。 台湾人の中国人に対する感情は単純に語れるものではありません。 「一つの中国」を主張する中国政府と、台湾内で台湾独立を主張する人々との摩擦で、一触即発の雰囲気にひやひやの時代もありましたが、今は比較的落ち着きつつあります。 台湾と中国との問題は、常に両国の微妙な力関係の中で揺れ動いています。 台湾という小さな島の歴史を紐解けば、台湾のアイデンティティーの複雑さを少し理解できるかもしれません。 延平郡王祠内の鄭成功像 台南市 【鄭成功と本省人】 もともと台湾にはマレーポリネシア系の先住民が住んでいました。 17世紀に入って、スペインやオランダの植民地になりましたが、、1661年、中国人と日本人のハーフ、鄭成功がオランダ人を追い払いました。 鄭氏による台湾支配はその後の清朝の攻撃によって短期間で終わり、台湾は清朝の支配を受けることになります。 このころ中国福建省、広東省から多くに人々が台湾に移住し、今日の台湾における、いわゆる 「本省人」の基礎となりました。 日本台湾統治時代に建築された建物がならぶ台北市博愛地区 【日本の統治と敗戦】 1894年、清朝が日清戦争に敗北したため、台湾は日本に割譲され、 その後1945年まで日本政府の台湾統治が行われました。 この時、日本同化政策として日本語教育が施行されたため、この時代に教育を受けた人たちの中には今でも日本語を話す人がいます。 1945年、第2次世界大戦の日本敗戦をもって、日本の台湾支配は終わります。 だたし、日本が連合国側諸国と締結したサンフランシスコ平和条約において、台湾の主権移転対象 帰属先 については明記されておらず、これが台湾の国際的地位をちゅうぶらりんなものにしているとも言えます。 蒋介石の座像がある、中正記念堂 台北市 【蒋介石と外省人】 このころ中国本土では、蒋介石率いる中華民国政府と毛沢東を中心とする中国人民解放軍との内戦が激化し、1949年になると中華民国政府は首都の南京から台湾へと撤退しました。 これ以降台湾に移住してきた人たちが、 「外省人」と呼ばれます。 中華民国は、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れてきて以来、中国と敵対してきました。 当初、アメリカや日本は台湾を正式な国家とみなしていましたが、中国の台頭によって状況が変化、1979年にはアメリカは中国と正式に国交を結びます。 日本も田中首相時代に中華人民共和国との国交を開始して以来、現在においても台湾との間に正式な国交はありません。 【台湾独立運動と今】 「一つの中国」という思想は1970年代当時、中国・台湾両サイドとも持っていた概念で、、それぞれ自分こそが中国の正当な政府であると主張していました。 双方とも、ゆくゆくはお互いを取り込んで一つの国家を築くと思っていたわけです。 1980年代後半からの李登輝総統時代に入ると、台湾は北京政府を容認した上で、台湾は台湾として独立した国家だという姿勢を取り始めます。 その後2000年代前半にかけては、「台湾は中国の一部だ」と主張する中国政府からの軍事的プレッシャーを受けることも度々ありました。 しかし、 ここ10年で中国が躍進し世界的大国になってきたことで、台湾人の意識も変化してきました。 中国が途上国だった時代には台湾のほうが圧倒的に経済力を持っていましたが、昨今台湾と中国の経済帝に立場は完全に逆転し、台湾内の独立運動は下火になってきています。 中国と仲良くしておいたほうが、経済的には得だという計算です。 現在、台湾政府としては、現状維持がもっとも現実的だという姿勢です。 台湾人と一口に言っても、九州と同じ面積しか持たない小さな島に、 本省人、外省人に加えてそれぞれ独自のの言語を話す土着の少数民族たちが住んでいます。 中国本土に対して帰属意識を持っている人々もいて、本省人と外省人との間でも、独立に対する気持ちに温度差があります。 かれらのアイデンティティーはどこに帰属するのか、「台湾」としてのアイデンティティーは今後どのように確立されるのか、そんなことを考えながら台湾を旅するのもおもしろいのではないでしょうか。

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台湾海峡と香港をめぐる「米中関係」と日本外交

台湾 と 中国 の 関係

中国と台湾は同じ民族です。 時は第二次世界大戦にもどります。 当時、中国は中華民国でした。 その中華民国のトップが蒋介石でした。 蒋介石は共産党が大嫌いで、中国は蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党がにらみ合い、2分されていました。 そこに日本が攻めてきたので、同じ民族で思想が異なるだけだから、一時仲良くしようということで、日本と共同で戦いました。 で、日本の敗戦が濃厚になると、日本の脅威がなくなり、また、ケンカするようになりました。 結果的に毛沢東率いる共産党が国民党を追いつめ、国民党は台湾島に逃げました。 その後、毛沢東は中華人民共和国を創設し、現在の中国になり、国民党は台湾で、中華人民共和国は認めないと抵抗しています。 だから2つの中国と呼ばれているのです。 香港は、もっと歴史をさかのぼり、日本が中国に侵攻する前から、中国はヨーロッパの列強国の草刈り場となっていました(日本が中国や東アジアを占領したのは、そういったヨーロッパ諸国の植民地を解放するためとうたって侵攻しました)。 香港は中華民国の前の国、清がイギリスと戦争(アヘン戦争)して負けたため、イギリスの植民地となりました。 イギリスは第二次世界大戦の戦勝国なので、第二次世界大戦後もイギリス領でしたが、1997年に中華人民共和国に返還されました。 だから、現在は中国です。 でも歴史的に100年間イギリス領だったため、中国とイギリスの文化が混在しているし、イギリス領だったから民主主義が根強いため、特別区として、半分独立したような体制となっています。 他にもマカオはポルトガルから返還されたので、香港同様、特別区です。

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台湾が韓国を嫌ってる理由。台湾が日本を大好きな理由。【知られざる台湾

台湾 と 中国 の 関係

これは知り合いの台湾人から聞いた話。 友だち2人と計3人(全員が20代の女性)で日本を旅行していたとき、ホテルのロビーで中国語で会話をしていたら、男性の中国人観光客から「あなたたちは中国人?」と声をかけられる。 すると3人は「いいえ、違います!わたしたちは台湾人ですっ!」と言ってそれからは、彼に内容が分からないよう台湾語に切り替えて話をつづけた。 こんな感じで中国と台湾には、とても複雑な事情があるのだ。 ということで今回は、両者がどこがどう違うのか書いていこうと思う。 まずは大ざっぱに日本の歴史で例えてみよう。 幕末の戊辰戦争(1868年~)で旧幕府側が薩摩・長州藩らの新政府軍との戦闘に負けて、榎本武揚たちは北海道へと逃げのびた。 そして榎本たちはその地で「新政権(蝦夷共和国:えぞきょうわこく)」の「建国」を宣言。 新政府軍(のちの明治政府)を認められない榎本たちは、江戸幕府につながる自分たちこそが「日本の本当の支配者」と考えたのだろう。 さて「本当の日本」は、国際社会に対して日本を代表する政府は、新政府側か旧幕府側(蝦夷共和国)のどっちだろう? この場合の新政府側が中国で、蝦夷地共和国が台湾(中華民国)と考えてほしい。 「新政権」のメンバー 前列右が榎本武揚 前回、中国と台湾の複雑な関係から起きた問題(台湾問題)について書いた。 平昌五輪では、韓国のテレビ局が台北を「首都」と紹介したことで中国人が激怒する。 日本では安倍首相が台湾にあてたメッセージの中に「総統」という言葉があったことで、中国側から抗議を受けて「総統」を削除した。 これらの問題の背景には、「台湾は中国の領土であって、絶対に国ではない」という中国の絶対にゆずれない認識がある。 世界のあちこちで起きている台湾問題は、中国人の「ひとつの中国」という考え方から生まれると思っていい。 習近平国家主席も全人代(全国人民代表大会=国会)で、そのことを強調していた。 毎日新聞の記事(2018年3月20日) 台湾問題については「一切の分裂につながる企ては失敗し、歴史の懲罰を受ける」と述べ、「偉大な祖国のわずかな国土であっても引き裂かれることを容認しない」と強調。 全人代閉会 習氏「憲法を忠実に実行」 「党高政低」印象づけ でも、台湾をはじめ世界には、「台湾は中国の一部ではなくて、別の国」ととらえている人がいる。 前回も書いたけど、国際社会は一般的に、「台湾は中国の一部(ひとつの中国)」という中国政府の主張を認めている。 日本政府もそう。 今回はこんな複雑な中国と台湾の関係を、歴史をふり返りながら、できるだけわかりやすく説明しようと思う。 「マクドナルド」を中国では漢字でこう書く。 でも台湾では「賣當勞」と書く。 1911年の辛亥(しんがい)革命から話をはじめる。 辛亥革命とは、孫文が中国最後の王朝・清を倒して中華民国を建てた革命のこと。 このとき孫文は臨時大総統となって中華民国の建国が宣言された。 この中華民国の時代、孫文をトップとしてその下に蒋介石や毛沢東がいた。 孫文がつくった「黄埔(こうほ)軍官学校」では蒋介石(しょうかいせき)が校長、毛沢東は面接の試験官をしていた。 ちなみに、この学校の政治部主任をしていたのが周恩来。 このとき彼らはひとつだった。 でもこの後、中国国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東とのあいだで内戦が始まる。 中国に攻めてきた日本軍と戦うために、一時休戦したけど、日本がいなくなるとまた内戦がおこなわれた。 内戦(国共内戦) 日本降伏後に再開された国民党と共産党の戦争。 1946年7月から本格化した。 国民党はアメリカの支援を受けたが、腐敗や経済混乱で大衆の支持を失った。 一方、共産党は農村での土地改革で支持を広げた。 「世界史用語集 (山川出版)」 この内戦は、毛沢東(共産党)が勝利する。 大陸に居場所がなくなった蒋介石と国民党(=中華民国)は台湾へ移った。 国家の存亡をかけて残存する中華民国軍の兵力や国家・個人の財産などを続々と台湾に運び出し、最終的には12月に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都とした。 蒋介石率いる国民党は台湾を支配して、ここに中華民国政府が成立する。 中華民国政府 1949 内戦に敗れて12月に台湾に逃れた蒋介石政権。 当初国連の代表権を持っていたが、1971年に中華人民共和国に移った。 88年に成立した李登輝国民党政権の下で民主化が進められた。 「世界史用語集 (山川出版)」 いまの日本で呼ばれる「台湾」とはこの中華民国政府のこと。 これを幕末の日本で例えると、薩長らの勢力(のちの明治政府)が中国で、江戸幕府勢力による新政権が台湾になる。 台湾のお札には「」が使われている。 辛亥革命がはじまった1911年が初年。 だから、中華民国暦89年とは西暦2000年のこと。 孫文の意思を引き継いだ中華民国(台湾)は1911年からはじまった、ということだろう。 上は国民党の蒋介石。 下は共産党の毛沢東。 中華民国政府ができた同じ年(1949年)10月に、毛沢東により中華人民共和国が建国された。 蒋介石たち国民党は自分たちこそが「本来の正しい中国」で、毛沢東(共産党)の中国は「間違った中国」と考えていた。 だから蒋介石たちはいつか中華人民共和国を倒して、中国を再び手に入れようとしていた。 同じことを毛沢東の中国も考えていた。 台湾を武力で制圧して、中国を完全にひとつにしようとしていた。 でも、1950年に朝鮮戦争がはじまったから、この計画は不可能になる。 でも、それは昔の話。 いまの台湾(中華民国政府)は武力統一なんて考えていない。 中国と台湾の力の差を考えたら、絶対にムリだから。 いまの世界では、国連も国際社会も日本政府も、「中国」と認めているのは大陸にある中華人民共和国のほう。 中華人民共和国が代表権のある中国で、台湾はその一部であるとみている。 これが台湾問題についての習近平国家主席の言葉につながる。 「一切の分裂につながる企ては失敗し、歴史の懲罰を受ける」 「偉大な祖国のわずかな国土であっても引き裂かれることを容認しない」 裏は日本統治時代の中心だった台湾総督府 いまは台湾政府が使っている。 先ほど説明文のなかに、「台北市を臨時首都とした」と書いてあった。 このとき蒋介石率いる国民党は、台北を「一時的な首都」として、本当の首都は南京だと考えていた。 友人の台湾人は学校で、「われわれの首都は南京です」と教わったという。 でも彼にはその感覚がない。 彼のなかでは、南京はどちらかというと外国の都市で、「われわれの首都」とはどうしても思えなかった。 そんないまの台湾人は、中国と台湾の関係についてどう思っているのか? ボクが話を聞いた限りでは、「現状維持」を望む人が一番多い。 台湾が中国と戦争をして統一することはあり得ない。 でも、台湾が中国にのみ込まれる(統一される)こともイヤ。 だから、「台湾が独立宣言をする必要はなく、中国と台湾の関係は今のままでいい」という意見をよく聞いた。 でも、台湾で会社を経営している台湾人は「もうすぐ台湾はなくなりますよ」と言う。 「いまの台湾では、中国の影響力がとても強いんです。 中国の経済力はすごいですから。 台湾の経済は中国なしではやっていけません。 台湾はこれから、経済的に中国に支配されていくでしょうね。 でもこればかりは、どうしてもようもありません」 武力を使わなくても、中国は内側から台湾(中華民国政府)を「中国化」して、「ひとつの中国」を完成することができるかもしれない。 おまけ 台湾の台北市に「国立故宮博物院」がある。 故宮は辛亥革命で倒した皇帝が住んでいたところで、故宮博物院では、そこにあった貴重なものが展示されている。 北京にも 故宮博物院があるのだけど、台北の故宮博物院のほうが充実している。 その理由は、内戦に敗れた蒋介石と国民党が台湾に移動するときに、価値の高いものを台湾に運んでしまったから。 「国立故宮博物院」のホームページから。 12月初頭、中央博物院理事会は集まりで協議し、最も優れた逸品を選び、台湾へ移すことを決定。 残りの文物は運輸条件が可能な限り、運搬を進めることとなりました。

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