五等分の花嫁 42話。 五等分の花嫁 動画(全話あり)|アニメ広場|アニメ無料動画まとめサイト

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五等分の花嫁 42話

7~11巻の表紙 ・一花、親指 ・二乃、人差し指 ・三玖、中指 ・四葉、薬指 ・五月、小指 結婚指輪嵌める前フリじゃったか。 これは四葉ちゃん大勝利だったは…。 最期の五つ子ゲーム 花嫁姉妹はぱっと見た感じだと 142 35かな? 直感オンリーだが、それだけに果たして自分に愛があるのかどうか >より 12435だと思う >より 5 2431で >より このバラバラ具合と3の位置だけみんな共通しちゃうのが面白いw >より 三玖ちゃんの正解率は100%でしたが、フータローだけでなく読者の愛を試すようなファイナル「五つ子ゲーム」でした。 正解はこちら…。 12435 左から「一花、二乃、四葉、三玖、五月」でした。 完璧に当ててる方もおり、「愛があれば見分けられる」は読者にも当てはまるんだなぁと。 当然、今のフータローは愛があるので見分けられます。 それも LOVEの四葉だけを見分けられるわけでなくLIKEの他4人も見分けられるのです。 二乃も「四葉だけ当ててればいいのよ」と言ってましたけど、ちゃんと5人を当てて愛を証明してみせた。 愛だったんだよ! 「愛」とは何も「LOVE」だけじゃない。 「心」を「受」と書いて「愛」です。 5人の心をきっちり受け止める。 結婚式という名の卒業式だった 元々卒業させるのが目的だったのに卒業式を省くとは思いませんでした >より 何でここまで急いだんだろ?あと1巻分ぐらいあれば卒業式、四葉の敬語解除、風太郎呼びになる過程ぐらいぐらい描けたのに >より 『五等分の花嫁』は誰が花嫁なんだってのが表テーマなら、裏テーマは「卒業」でした。 それだけに卒業式がキンクリされて「?」となった意見も散見されました。 家庭教師をするきっかけも成績壊滅的な5人が高校を卒業できるようにってのが最初の目的。 途中で、フータローは真の卒業は学校を卒業させるだけじゃないと変化しました。 77話 成績だけでいえばあいつらはもう卒業までいける力を身につけています。 それでいいと思ってた。 だけど五月の話と…こいつ武田の話を聞いて思い直しました。 次の道を見つけてこその卒業。 俺はあいつらの夢を見つけてやりたい。 <関連記事> 5人の夢を見つけてこそ本当の卒業であると。 で、結婚式当日はそれぞれ5人は夢を見つけて歩んでいるわけですよ。 だから高校の卒業式はそんなに大事なイベントではない。 本当の卒業は今でしょ!高校時代からの5年後の社会人になったNOW! つまり、 「結婚式」は「卒業式」でもあるんです。 どう見てもそういう描かれ方してました。 まるで送辞ですよ。 卒業生へ贈る言葉ですよ 愛するあなたへ贈る言葉ですよ。 そりゃ海援隊も歌うっちゅーの! 5人の馬鹿から成長した卒業生へ 42話 「スクランブルエッグ」シリーズ(思い返せばこのシリーズも卒業がテーマやったね)で、当時のフータローは5姉妹を以下のように評していました。 <関連記事> 夢追い馬鹿。 どうせ叶いっこないと言ってはいるんだが。 ま、根気だけはあるみたいだな。 からの~? 自堕落、鈍間、惰眠を貪る、怠惰だ。 それでも強くあろうとする姿が俺には眩しく見えた。 「根気」だけは認めていた。 いや本当は尊敬していた。 強くあろうとする姿が眩しかったと吐露するのです。 一花さん卒業おめでとう!そしておめでとう! 卒業生中野二乃! 卒業する二乃へ贈る言葉 身内馬鹿。 こいつは姉妹贔屓ですぐ噛みついてくる。 …だけかと思ってたが、今はよくわからない。 からの~? お前の強さは、その人一倍の弱さの裏返しだ。 厳しさもそれだけ大きな愛情があるからなんだろうな。 あの頃の俺はその答えを見つけることができなかった。 すまん。 身内贔屓で攻撃的だった二乃はずばり弱さの裏返しであると。 同時に、それは大きい愛情所以であると。 って、自分は解釈したけど男女の惚れた腫れたを指してるようでもある。 卒業生中野三玖! 卒業する三玖ちゃんへ贈る言葉 卑屈馬鹿。 初めは暗くて覇気のない顔をしてたが、近頃は見るたびに生き生きしていて安心してる。 からの~? (三玖ちゃんはすでに卒業してたともいえるニュアンスであったが) お前はそうやって常に自分の不安と戦ってきた。 そうして勝ちえた結果は間違いなくお前の戦果だ。 自分を信じろ。 お前は昔からできる奴だ。 卑屈すぎた…自分に自信を持てなかった三玖ちゃんに対して「自分を信じろ」というのは最高の言葉だな。 卒業生三玖ちゃんはもう卑屈じゃない!臆病じゃない!ダメじゃない!勇気もある!最も成長したのは三玖ちゃんだよなぁ。 だって自分を信じろとかできる子だって贈る言葉に対して、三玖ちゃんはフータローなら 「そう言ってくれると思ってた」ですから。 とっくに克服してた証左です。 <関連記事> (続くんじゃぞい).

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【五等分の花嫁】第118話感想・考察!四葉の強い想い&上杉君とはズッ友!

五等分の花嫁 42話

! 「二乃」が抱える問題へと踏み込みを見せていく 期末試験編。 毎週怒涛の勢いで展開されていくストーリーが非常に熱かったのですが、今週も最高に面白いですね。 なんと言いますか... 、今週の42話を読んで、『五等分の花嫁』が 今後どういう方向に舵を取っていこうとしているのか、その一端が少し見えてきた気がします。 それくらい今回は重要なお話だったなぁ... 上杉郎にとって、そして『五等分の花嫁』という作品にとって、 非常に大きな影響力を持つ「写真の子」。 この2人の再会が物語になにをもたらすのか。 今回はそういった点を意識させられるお話でした。 <感想記事>• 前回、突如としてフータローの前に姿を現した一人の少女。 この少女は一体誰なのか... !?という感じでしたが、現状では一旦 「写真の子」本人の可能性が高いと考えるしかないでしょう。 京都におけるお守りが 2人の思い出の品であると認識している事からも、彼女が過去の事情を知っている人物であることは間違いありませんので。 一方、写真を確認するまで五年前の子だと気付けないあたりもフータローらしい。 まぁ、この時期の5年という期間は 身体的にも精神的にも一番変化に富んだ時期ですから、帽子で顔を隠されてしまうと誰だかわからないというのは正論ではありますが...。 なにせ、実際フータロー自身があの頃とは違いますからね。 写真の子が「イメチェン」と表現しているように、 フータローは目の前にいる女の子によって変えられた。 「容姿」だけではなく 彼自身の「生き方」をも含めて。 それが「今」のフータローです。 しかし、「写真の子」は あの頃の姿を再現して登場しました。 それは、「今」の姿ではなく「過去」の姿である。 そこが今回のポイントでしょう。 今の君に 「過去」と「今」の対比 その証拠に、「なぜここに現れたのか」というフータローの問いに対し、彼女はこう答えます、 「今の君に会うため」と。 要するに、「写真の子」は 「今」のフータローに会いに来たんですよね。 変わらない(=過去の) 姿で、変わった(=今の)フータローの前に現れたわけです。 それを踏まえると、前回の「また落ち込んでる やっぱり君は変わらないね」という皮肉めいた言葉にも重みが増してくる。 フータローは確かに変わった、でも、自信を無くし 「俺は不要だ」と俯くフータローは「あの頃」のままである、と。 それゆえに彼女はフータローの前に姿を見せたのではないでしょうか。 俯くフータローの背中を押すために。 そして、それはまるで「五年前」、彼女がフータローの前に現れたときの 出会いを再現するかのように。 きっと、ここに 「写真の子」からのメッセージがある。 詳しくは後述しますが、やっぱりこれこそが今回の2人の再会におけるキモだと思います。 写真の子の想い 零奈 「零」の名を冠する少女... また、今回興味深かった点は彼女が 自身の名を「零奈」と語ったことでしょう。 今回の話の流れを汲むと、これがなかなかなにおもしろい。 無論「零奈」というのは、名前に漢数字を冠する五姉妹たちを意識したネーミングなので、暗にこの少女が「五姉妹の誰かだよ」というのを表現するための仕掛けではありますが、 あえて「零」を名乗っているのが超意味深じゃないかなって。 だって、 「0」は全ての始まりであり起源ですから。 「はじまりの女の子」が冠するにはこれ以上ないくらい相応しいものであると言える。 と同時に、 「0」は実体のないもののメタファーでもあるんですよね。 概念(=人の気持ちの中にあるもの)としてそこにはあるけれど、 質量を伴ってそこにはないもの。 それが「0」の持つ真の意味です。 過去と今が交差する 「過去」と「今」の思い出が溢れ出す(=噴水の水が飛び出す) それゆえに、今回ボートに乗る2人の姿を 「過去」の2人の姿にオーバーラップさせたこの描写が映えるのでしょう。 ハッキリとした言い方をしてしまえば、無論彼女は 「零奈」 ではないわけです。 それは「0」(名前だけの存在)であって、過去の象徴であって、実体のないものだから。 目の前にいる少女は「零奈」ではなく、五姉妹の誰かです。 とすると、なぜ彼女が 自らの正体を明かさずに「零奈」と名乗ったのか。 その真意は、フータローにとって「はじまりの子」である自分を、きちんと 「過去」として位置付けてるからなのでしょうか。 前回の感想でも、フータローと五月は「過去」を見つめながら「今」を生きている2人であると言いましたけれど、やはりそこが お話の肝になるのかなと思います。 「君を縛る私は消えなきゃね」というのもきっとそういうこと。 さよなら それゆえに、「さよなら」をしなくてはならない。 自分は「過去」であり「零」だから。 文字どおり、思い出の中の存在(=人の気持ちの中にしかない概念)でしかないのだから。 この一連の流れが最高に神懸かり過ぎていて凄く良かったなと..。 「過去」の姿を再現して登場した理由、「零奈」と名乗った真意、そしてフータローへ向けられた寂しげな「さよなら」。 徹底的に 「写真の子」を「過去」の象徴として描き切っているのも、その全てが後ろ向きになっていた(過去を見つめていた)フータローを前に進ませるため(さよならをして未来へ歩ませるため)の行動なんですよね。 39話の感想でも触れましたが、やはり「七つのさよなら編」が掲げる最大のテーマは 「過去」からの「さよなら」だったんだろうなぁと思います。 <関連記事> この「さよなら」がどんな影響をもたらすのか... 必要とされる とはいえ、やはり 「写真の子」が誰なのかは非常に気になるところではあるわけで...。 確かに「写真の子」はフータローにとって「過去」であり、それが例え五姉妹の誰であっても、 大切なのはこれから先の「未来」です。 それを「写真の子」も望んでいるのでしょうし、自ら名乗らない理由も「過去」に縛られた生き方をフータローにして欲しくないからなのだとしたら、それ自体は正しいとさえ思います。 しかし一方で、やっぱりフータローの立場てみれば、「写真の子」が誰なのかはまぁ、気にはなりますよね。 だって、 自分を初めて「必要」としてくれた人であり。 初めて自分に真正面から向き合って「肯定」してくれた人なのですから。 過去の象徴 たとえ、その女の子が「過去」の存在で「概念」でしかないんだと言われても、いえ、 自分たちの大切な思い出の中にしかいない「概念」だからこそ、やっぱり簡単に「さよなら」出来ない想いはあるんじゃないかなぁ...。 フータローの生帳から彼女が「写真」を抜き取った描写は、 「自分のことは忘れて欲しい... 」という彼女なりの意図だと思いますが、五年前の少年がフータローだと知っている彼女と、五年前の少女が誰なのかを知らないフータローではやや条件が違う。 ゆえに、フータローの中にも「写真の子」が誰なのかが気になる気持ち(=未練)は多少なりとも残る可能性はありますよね。 もちろん今回の励ましを受けて、フータローは前に向かっていくのでしょうけれど、そのうえで、 「過去」を「過去」として受け止められるようになったうえで、また「写真の子」が誰なのかをフータローが知る機会があるのかもしれません。 今回、 彼女がフータローに渡したモノがまさにその伏線になってきたら面白いですね。 写真の子は誰なのか.... 写真の子は... というわけで、今回出てきた情報からまた 「写真の子」は誰なんだろう... というところに少し触れていきたいのですが、やっぱり個人的には ちゃん説が更に強化されたなって印象です。 まぁ、偶然ランニング中にこんなところで出くわすのが怪しい... というのもありますが、裏返せばこんな早くに着替えが可能だったの?という疑問も含めて、 解釈の問題でどうとでも取れるので、このシーン自体が決定的なシーンだとは思えません。 そもそもここまで引っ張っておいてそんなわかりやすい描写で判明するわけないでしょうから。 この描写自体はあくまでもミステリー(謎解き)要素として、 ちゃんが現場の近くにいたという事実を提示したかっただけなのかなと。 フータローから見た姉妹の人物評 今回改めてフータローの口から語られた 「五姉妹の人物評」でそれぞれとの関係性を振り返ると、やっぱり意味深なところはあるのですよね。 まず大前提として「写真の子」を読み解くにあたり個人的に重要なポイントだと思っているのが、姉妹たちがフータローのことを 「必要とするに至るまでの経緯」にあると思っています。 繰り返しになりますがこれは相当重要だと思う。 今でこそフータローは程度の差はあれ姉妹たちに必要とされる存在になってきましたが、最初はそうではありませんでした。 むしろ、 姉妹のほとんどがフータローを必要としていなかった。 言い換えれば、信頼してなかったんですよね。 しかし、少しずつその状況が変わっていく。 三玖に好意を示され、一花さんに信頼され、五月と向き合い、今まさに二乃の問題に立ち向かおうとしている。 この4人はストーリーの中でフータローが信頼を勝ち取ってきた(勝ち取ってきている)人たちです。 つまり、この4人はストーリーの進行とともにフータローを必要としていった人たちなんですよね。 「今」を見つめるというテーマの象徴たるヒロインたちなわけです。 ちゃんは最初からフータローを頼っていた 一方、 ちゃんだけは明確に違います。 以前も「最初からフータローに好意的だった」と言いましたが、言い換えれば、 最初からちゃんはフータローを必要としていた人なんですよ。 明らかに一人だけフータローとの関係性の築き方に差異がある。 これは気になるところ...。 しかも、フータロー自身も今回、ちゃんのことを「やる気があって頼りになる」と評しているんです。 もちろん他の姉妹同様決め文句みたいに「だが馬鹿だ」とは言ってるんですけど、 「それに... 俺の思い過ごしか... (もしかしたら、フータローは"無意識的に"ちゃんと写真の子を重ねている?) 」と意味深な発言も残している。 やはり特別なものを感じずにはいられません。 「今」を象徴する4人とは異なる存在のちゃん。 特に今回は 「写真の子」=「過去」を強く想起させるエピソードだったので、個人的には「ちゃん=始まりの子」説は高まったんじゃないかな、と。 前へと進むフータロー 二乃の問題に踏み込めるのか そして、「写真の子」との「さよなら」も気になりますが、二乃の問題が解決できるかも気になるところ。 何だかんだ言っても二乃はフータローのことを特別視しているんだと思います。 中間試験編でフータローのピンチを救った時のように、今回 茫然自失のフータローに手を差し伸べる二乃を見ればそれは明らか。 やっぱりこの関係性が2人の自然な姿なのかな...。 期待したいですね。 つ・ま・り!なにが言いたいのかというと...

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五等分の花嫁の最新話94話のネタバレと感想、考察まとめ!週刊少年マガジン33号

五等分の花嫁 42話

! 「二乃」が抱える問題へと踏み込みを見せていく 期末試験編。 毎週怒涛の勢いで展開されていくストーリーが非常に熱かったのですが、今週も最高に面白いですね。 なんと言いますか... 、今週の42話を読んで、『五等分の花嫁』が 今後どういう方向に舵を取っていこうとしているのか、その一端が少し見えてきた気がします。 それくらい今回は重要なお話だったなぁ... 上杉郎にとって、そして『五等分の花嫁』という作品にとって、 非常に大きな影響力を持つ「写真の子」。 この2人の再会が物語になにをもたらすのか。 今回はそういった点を意識させられるお話でした。 <感想記事>• 前回、突如としてフータローの前に姿を現した一人の少女。 この少女は一体誰なのか... !?という感じでしたが、現状では一旦 「写真の子」本人の可能性が高いと考えるしかないでしょう。 京都におけるお守りが 2人の思い出の品であると認識している事からも、彼女が過去の事情を知っている人物であることは間違いありませんので。 一方、写真を確認するまで五年前の子だと気付けないあたりもフータローらしい。 まぁ、この時期の5年という期間は 身体的にも精神的にも一番変化に富んだ時期ですから、帽子で顔を隠されてしまうと誰だかわからないというのは正論ではありますが...。 なにせ、実際フータロー自身があの頃とは違いますからね。 写真の子が「イメチェン」と表現しているように、 フータローは目の前にいる女の子によって変えられた。 「容姿」だけではなく 彼自身の「生き方」をも含めて。 それが「今」のフータローです。 しかし、「写真の子」は あの頃の姿を再現して登場しました。 それは、「今」の姿ではなく「過去」の姿である。 そこが今回のポイントでしょう。 今の君に 「過去」と「今」の対比 その証拠に、「なぜここに現れたのか」というフータローの問いに対し、彼女はこう答えます、 「今の君に会うため」と。 要するに、「写真の子」は 「今」のフータローに会いに来たんですよね。 変わらない(=過去の) 姿で、変わった(=今の)フータローの前に現れたわけです。 それを踏まえると、前回の「また落ち込んでる やっぱり君は変わらないね」という皮肉めいた言葉にも重みが増してくる。 フータローは確かに変わった、でも、自信を無くし 「俺は不要だ」と俯くフータローは「あの頃」のままである、と。 それゆえに彼女はフータローの前に姿を見せたのではないでしょうか。 俯くフータローの背中を押すために。 そして、それはまるで「五年前」、彼女がフータローの前に現れたときの 出会いを再現するかのように。 きっと、ここに 「写真の子」からのメッセージがある。 詳しくは後述しますが、やっぱりこれこそが今回の2人の再会におけるキモだと思います。 写真の子の想い 零奈 「零」の名を冠する少女... また、今回興味深かった点は彼女が 自身の名を「零奈」と語ったことでしょう。 今回の話の流れを汲むと、これがなかなかなにおもしろい。 無論「零奈」というのは、名前に漢数字を冠する五姉妹たちを意識したネーミングなので、暗にこの少女が「五姉妹の誰かだよ」というのを表現するための仕掛けではありますが、 あえて「零」を名乗っているのが超意味深じゃないかなって。 だって、 「0」は全ての始まりであり起源ですから。 「はじまりの女の子」が冠するにはこれ以上ないくらい相応しいものであると言える。 と同時に、 「0」は実体のないもののメタファーでもあるんですよね。 概念(=人の気持ちの中にあるもの)としてそこにはあるけれど、 質量を伴ってそこにはないもの。 それが「0」の持つ真の意味です。 過去と今が交差する 「過去」と「今」の思い出が溢れ出す(=噴水の水が飛び出す) それゆえに、今回ボートに乗る2人の姿を 「過去」の2人の姿にオーバーラップさせたこの描写が映えるのでしょう。 ハッキリとした言い方をしてしまえば、無論彼女は 「零奈」 ではないわけです。 それは「0」(名前だけの存在)であって、過去の象徴であって、実体のないものだから。 目の前にいる少女は「零奈」ではなく、五姉妹の誰かです。 とすると、なぜ彼女が 自らの正体を明かさずに「零奈」と名乗ったのか。 その真意は、フータローにとって「はじまりの子」である自分を、きちんと 「過去」として位置付けてるからなのでしょうか。 前回の感想でも、フータローと五月は「過去」を見つめながら「今」を生きている2人であると言いましたけれど、やはりそこが お話の肝になるのかなと思います。 「君を縛る私は消えなきゃね」というのもきっとそういうこと。 さよなら それゆえに、「さよなら」をしなくてはならない。 自分は「過去」であり「零」だから。 文字どおり、思い出の中の存在(=人の気持ちの中にしかない概念)でしかないのだから。 この一連の流れが最高に神懸かり過ぎていて凄く良かったなと..。 「過去」の姿を再現して登場した理由、「零奈」と名乗った真意、そしてフータローへ向けられた寂しげな「さよなら」。 徹底的に 「写真の子」を「過去」の象徴として描き切っているのも、その全てが後ろ向きになっていた(過去を見つめていた)フータローを前に進ませるため(さよならをして未来へ歩ませるため)の行動なんですよね。 39話の感想でも触れましたが、やはり「七つのさよなら編」が掲げる最大のテーマは 「過去」からの「さよなら」だったんだろうなぁと思います。 <関連記事> この「さよなら」がどんな影響をもたらすのか... 必要とされる とはいえ、やはり 「写真の子」が誰なのかは非常に気になるところではあるわけで...。 確かに「写真の子」はフータローにとって「過去」であり、それが例え五姉妹の誰であっても、 大切なのはこれから先の「未来」です。 それを「写真の子」も望んでいるのでしょうし、自ら名乗らない理由も「過去」に縛られた生き方をフータローにして欲しくないからなのだとしたら、それ自体は正しいとさえ思います。 しかし一方で、やっぱりフータローの立場てみれば、「写真の子」が誰なのかはまぁ、気にはなりますよね。 だって、 自分を初めて「必要」としてくれた人であり。 初めて自分に真正面から向き合って「肯定」してくれた人なのですから。 過去の象徴 たとえ、その女の子が「過去」の存在で「概念」でしかないんだと言われても、いえ、 自分たちの大切な思い出の中にしかいない「概念」だからこそ、やっぱり簡単に「さよなら」出来ない想いはあるんじゃないかなぁ...。 フータローの生帳から彼女が「写真」を抜き取った描写は、 「自分のことは忘れて欲しい... 」という彼女なりの意図だと思いますが、五年前の少年がフータローだと知っている彼女と、五年前の少女が誰なのかを知らないフータローではやや条件が違う。 ゆえに、フータローの中にも「写真の子」が誰なのかが気になる気持ち(=未練)は多少なりとも残る可能性はありますよね。 もちろん今回の励ましを受けて、フータローは前に向かっていくのでしょうけれど、そのうえで、 「過去」を「過去」として受け止められるようになったうえで、また「写真の子」が誰なのかをフータローが知る機会があるのかもしれません。 今回、 彼女がフータローに渡したモノがまさにその伏線になってきたら面白いですね。 写真の子は誰なのか.... 写真の子は... というわけで、今回出てきた情報からまた 「写真の子」は誰なんだろう... というところに少し触れていきたいのですが、やっぱり個人的には ちゃん説が更に強化されたなって印象です。 まぁ、偶然ランニング中にこんなところで出くわすのが怪しい... というのもありますが、裏返せばこんな早くに着替えが可能だったの?という疑問も含めて、 解釈の問題でどうとでも取れるので、このシーン自体が決定的なシーンだとは思えません。 そもそもここまで引っ張っておいてそんなわかりやすい描写で判明するわけないでしょうから。 この描写自体はあくまでもミステリー(謎解き)要素として、 ちゃんが現場の近くにいたという事実を提示したかっただけなのかなと。 フータローから見た姉妹の人物評 今回改めてフータローの口から語られた 「五姉妹の人物評」でそれぞれとの関係性を振り返ると、やっぱり意味深なところはあるのですよね。 まず大前提として「写真の子」を読み解くにあたり個人的に重要なポイントだと思っているのが、姉妹たちがフータローのことを 「必要とするに至るまでの経緯」にあると思っています。 繰り返しになりますがこれは相当重要だと思う。 今でこそフータローは程度の差はあれ姉妹たちに必要とされる存在になってきましたが、最初はそうではありませんでした。 むしろ、 姉妹のほとんどがフータローを必要としていなかった。 言い換えれば、信頼してなかったんですよね。 しかし、少しずつその状況が変わっていく。 三玖に好意を示され、一花さんに信頼され、五月と向き合い、今まさに二乃の問題に立ち向かおうとしている。 この4人はストーリーの中でフータローが信頼を勝ち取ってきた(勝ち取ってきている)人たちです。 つまり、この4人はストーリーの進行とともにフータローを必要としていった人たちなんですよね。 「今」を見つめるというテーマの象徴たるヒロインたちなわけです。 ちゃんは最初からフータローを頼っていた 一方、 ちゃんだけは明確に違います。 以前も「最初からフータローに好意的だった」と言いましたが、言い換えれば、 最初からちゃんはフータローを必要としていた人なんですよ。 明らかに一人だけフータローとの関係性の築き方に差異がある。 これは気になるところ...。 しかも、フータロー自身も今回、ちゃんのことを「やる気があって頼りになる」と評しているんです。 もちろん他の姉妹同様決め文句みたいに「だが馬鹿だ」とは言ってるんですけど、 「それに... 俺の思い過ごしか... (もしかしたら、フータローは"無意識的に"ちゃんと写真の子を重ねている?) 」と意味深な発言も残している。 やはり特別なものを感じずにはいられません。 「今」を象徴する4人とは異なる存在のちゃん。 特に今回は 「写真の子」=「過去」を強く想起させるエピソードだったので、個人的には「ちゃん=始まりの子」説は高まったんじゃないかな、と。 前へと進むフータロー 二乃の問題に踏み込めるのか そして、「写真の子」との「さよなら」も気になりますが、二乃の問題が解決できるかも気になるところ。 何だかんだ言っても二乃はフータローのことを特別視しているんだと思います。 中間試験編でフータローのピンチを救った時のように、今回 茫然自失のフータローに手を差し伸べる二乃を見ればそれは明らか。 やっぱりこの関係性が2人の自然な姿なのかな...。 期待したいですね。 つ・ま・り!なにが言いたいのかというと...

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