月経 小屋。 女性の社会進出を促した一番の功労者は「生理用ナプキン」だった(田中 ひかる)

日本の離島の風習に学ぶ~出産における「仮親」の役割

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毎月のブルーな日、昔はどうしてたの?小学校高学年くらいから50歳くらいまで、女性に毎月訪れる「生理の日」。 現代は生理用品の種類が多様化し、昔と比べれば格段に快適に過ごせるようになっ… しかし欧米を見てみると「ナプキン」「タンポン」だけでなく、「月経カップ」「ムーンパンツ」など便利で多様な生理用品が使用されていることが分かります。 日本でも最近は「布ナプキン」など普及してきていますが、人によっては合わないこともあり、やはり選択肢の少なさは否めません。 日本で初めて発売されたナプキン「アンネナプキン」/出典: 日本で生理用品の選択肢が多様化しなかった背景には、日本社会に 「月経中の女性は穢れている」 「月経について口にするのは恥ずかしいこと」 という考え方が「常識」として存在していたことがあります。 このことは生理用品の選択の幅を狭めただけでなく、 生理中の女性を隔離するための施設「月経小屋」まで作り出しました。 日本にかつて実在した「月経小屋」とは? 「月経小屋」とはその名のとおり、生理中の女性が他の家族や地域の人と接することがないように隔離するために使用されていた施設です。 とは言っても全国各地に必ず設置されていたわけではなく、主に瀬戸内海や伊豆諸島など西南日本の島々に存在するものでした。 地域によって 「タビゴヤ」「ヒゴヤ」「よごれや」「不浄小屋」などと呼ばれていましたが、いずれにせよあまり「喜んで入りたい!」と思えるような名称ではありません。 それもそのはず、生理中の女性をこのような小屋に隔離する目的は 「生理中の女性は不浄である」 「男性は生理中の女性に接すると危険である」 という考えにもとづくものだからです。 このように月経中の女性を「穢れている」として隔離する習慣は、なにも日本固有のものではありません。

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権力が作り上げた「血穢」という意識…「生理」の歴史を振り返る

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発売したのは、坂井泰子(さかいよしこ)さんという女性が設立したアンネという会社です。 日本では、身近な植物や布、紙が生理用品として使われてきました。 近代に入ると脱脂綿が使われるようになりましたが、その後はあまり進化せず、ナプキンが登場するまでは、脱脂綿を「黒いゴムびきパンツ」で押さえるという方法が一般的でした。 ショーツの股の部分にゴムが貼ってあるので蒸れますし、脱脂綿が固定されずに転がり落ちてしまうこともあったようです。 電車やバスの中に脱脂綿が落ちていることも珍しくありませんでした。 そういう光景を見て、いたたまれない思いがした、とのちに坂井さんは語っています。 坂井さんは結婚後、発明家と企業の仲介をする「発明サービスセンター」という会社を立ち上げたのですが、そこに、使用済みの脱脂綿が水洗トイレに詰まらないよう排水口に網を張るという考案が寄せられました。 当時、急速に水洗トイレが普及し始め、従来の習慣で脱脂綿をトイレに捨てると、すぐに詰まってしまったのです。 その考案を見て坂井さんは、水に流せて、なおかつ女性にとって快適な生理用品を開発しようと考えました。 ナプキンが発売される前に初経を迎えた女性は、母親から「生理は『穢れ』だから、洗濯後の月経帯は太陽の下に干してはいけない」と言われ、とてもみじめな気持ちになったそうです。 生理の時は男性並みに働けない、と感じる女性も多かったでしょう。 アンネナプキンの発売は高度経済成長期の真っ只中、女性の社会進出が一気に加速した時期でした。 もしこのタイミングでナプキンが発売されていなければ、女性の社会進出はもっと鈍かったと思います。 女性の社会進出を支え、その女性たちに消費されたのが、アンネナプキンでした。 アンネナプキンは、それまで日陰のもの扱いされていた生理や、女性をどう変えたのでしょうか? アンネナプキンはそれまでの生理用品と比べ、格段に使いやすく快適だったので、女性たちの活動範囲を広げましたが、宣伝活動によって、月経不浄視や自己卑下の気持ちを希薄化させることにも成功しました。 3種類のアンネナプキン。 アンネジュニアセット、アンネナプキン厚形オンリーパック10個入、ナイトアンネ長時間専用3枚入(「」より 山浦麻子さん提供) 生理は「穢れ」であり、女性たち自身も恥ずべきものと考えていた当時、生理用品を新聞やテレビで宣伝するということ自体が画期的でした。 坂井さんやアンネ社の社員たちは、女性たちの羞恥心にも最大限の配慮を払いながら、生理にまとわりついてきた陰鬱なイメージを払拭することに努めました。 ナプキンはいずれ他社が発売したでしょうが、宣伝に力を入れ、短期間で劇的に生理観を変えることは、アンネ社にしかできなかったと思います。 アンネナプキンが爆発的に売れ始めると、アンネ社や坂井さん宛てに、多いときで1日に100通もの感謝の手紙が届くようになりました。 その中に、「私たち、生理の日を『アンネの日』と呼んでいます」という手紙がありました。 アンネ社はこの言葉をキャッチコピーに使って「〈アンネの日〉ときめました!」という広告を作りました。 この広告が出ると、口に出すこともはばかられ、「アレ」「お客さん」などと呼ばれていた生理が、「アンネ」と呼ばれるようになりました。 今やアンネは死語ですが、「アンネ」と口に出して言えるようになったからこそ、ためらいなく「生理」と言える時代がきたのだと思います。 かわいいパッケージに包まれ、芸能人を起用したCMも流れるなど「明るいイメージ」を演出しています。 しかし、生理を明るいイメージにすることで、生理痛など生理の大変な面を、かえって語りにくくなっていないでしょうか? むしろ、生理や生理用品が一般化されたことで、生理痛についても語りやすい環境になっているのではないでしょうか。 生理が、健康についての当たり前の話題としてもっと語られるようになることで、生理痛や月経前症候群(PMS)についての正しい認識が広がればいいと思います。 例えば、妻の生理痛が軽い男性は、つらい生理痛があることを知らなかったり、逆に妻の生理痛が重い場合は、過剰に女性を気遣ったりすることがあります。 また、月経前症候群といって、生理前に腹痛や腰痛、むくみといった身体的症状だけでなく、気持ちが不安定になる女性がいるのですが、これが拡大解釈され、生理前の女性はヒステリー気味で仕事にも差し支えるという説が一人歩きしています。 こうした間違った生理観が女性のためにならないことは言うまでもありません。 かつて企業が、女性は結婚や出産で会社を辞めるから採用しない、と公言していた時代がありました。 結婚や出産が当たり前でなくなった現在、生理が女性を差別する際の最後の拠り所となりえます。 生理前になるとイライラして夫に暴力を振るうといった極端な例を挙げ、生理前の女性の扱い方には気をつけようというメッセージを発信しているメディアもあります。 月経前症候群は、症状が数百もあります。 例えば、症状がむくみだけでも月経前症候群と診断されますが、だからといってその女性が暴力を振るうわけではありません。 そういう誤解を避けるためにも、月経前の重い精神症状は、月経前不快気分障害(PMDD)という別の概念で説明されるようになってきました。 一度も生理痛を経験したことがない女性もいれば、毎月救急車を呼ぶほどの激烈な痛みに苦しむ女性もいます。 市販の鎮痛薬が効かず、普段どおりの生活が送れないほどであれば、婦人科を受診し、治療を受けるべきです。 今は、鎮痛薬だけでなく、低用量ピルによって生理痛をコントロールするようになっています。 また、月経前症候群にも低用量ピルが有効です。 月経前不快気分障害も、精神科の医師たちを中心に研究が進められ、治療法が確立されつつあります。 「生理は病気じゃない」「生理痛は陣痛の練習」といった意見を耳にしますが、つらい症状を我慢する必要はありません。 女性たち自身が生理について率直に語ることによって、生理痛や月経前症候群の症状が人によって千差万別であることが理解され、生理に対する誤解や偏見が解消されていけばよいと思います。 また、あまりに身近にありすぎて、なかなか顧みることがない生理用品ですが、日本の女性たちに快適な生理用品をという一念からナプキンを普及させた女性がいたことを、より多くの人に知ってほしいです。 アンネナプキンの発売は、日本の女性史を語る上で欠かせない出来事だと考えています。 ハフポスト日本版では、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、を立ち上げました。 女性のカラダはデリケートで、一人ひとりがみんな違う。 だからこそ、その声を形にしたい。 そして、みんなが話しやすい空気や会話できる場所を創っていきたいと思っています。 みなさんの「女性のカラダ」に関する体験や思いを聞かせてください。 ハッシュタグ も用意しました。 メールもお待ちしています。

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月経不浄視が少女の命を奪う。ネパールの「チャウパディ」

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ネパールで、月経小屋に隔離されていた少女が、毒蛇にかまれて死亡した。 同地では以前にも、月経小屋で暖をとっていた少女が煙にまかれて窒息死したり、脱水症状に陥った少女が手当てを受けられずに亡くなったりしている。 【7月10日 AFP】ネパール西部ダイレク(Dailekh)郡で先週末、生理中の女性を隔離するヒンズー教の慣習に従い、屋外の小屋で過ごしていた18歳少女が毒蛇にかまれて死亡した。 当局が8日に明かした。 ネパールの一部地域では、月経中の女性を不浄な存在だとみなすヒンズー教の古い慣習が残っている。 地方によっては、生理が終わるまで小屋での寝泊りを強いることもある。 (中略) このヒンズー教の慣習は「チャウパディ(Chhaupadi)」と呼ばれ、ネパールでは10年前に禁じられた。 しかし、特に同国の西部地域では、いまだに根強く残っている。 引用:AFPBB News「」 月経中の女性が穢れているという考え方は、ヒンドゥー教に限らず世界中の宗教に見られ、月経小屋の慣習も世界各地に存在する。 『旧約聖書』のレビ記第15章には、「女性の生理が始まったならば、7日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。 生理期間中の女性が使った寝床や腰掛けはすべて汚れる。 (中略)もし、男が女と寝て月経の汚れを受けたならば、7日間汚れる。 またその男が使った寝床はすべて汚れる」とある。 また、『クルアーン(コーラン)』雌牛章にも、「それ(月経)は不浄である。 だから月経時には、妻から遠ざかり、清まるまでは近づいてはならない」とある。 日本では、平安時代に「血の穢れ」が制度化され、貴族社会から徐々に一般社会へと広まった。 一般社会への影響力が最も強かったのは、室町時代に中国から入ってきた「血盆経」という偽経である。 女性は月経や出産の際に、経血で地神や水神を穢すため、死後、血の池地獄に堕ちるが、血盆経を信仰すれば救われるという内容で、仏教各宗派が女性信者を獲得するため積極的に唱導を行った。 月経小屋の慣習も日本各地に見られたが、江戸時代に積極的に血盆経の唱導を行った宗派の勢力が強かった地域に、より多く確認されている。 記事中に、ネパールでは10年前に月経小屋の慣習が禁じられたとあるが(正確には2005年)、日本では近代化を急いでいた1872(明治5)年に、「血の穢れ」に基づく慣習が正式に廃止された。 たまたま大蔵省を訪ねた西洋人が、幹部が妻の「産の穢れ」を理由に欠勤していることに驚き、抗議したことがきっかけだと言われている。 月経小屋の慣習が廃止されたことについて、当時の女性たちの「タヤ(月経小屋)におらいでもよくなったのは、神様が往生して罰をあてなくなったのだろう」「はじめのうちは、おとましいようで心がとがめた」といった聞き書きが残されている。 しかしネパール同様、日本でも長い間続いてきた慣習が一気に解消されることはなく、地域社会に残存した。 福井県敦賀市白木では、1960年代半ばまで月経小屋が機能しており、食事と経血の手当ては小屋でしなければならなかった。 女性史研究者の田中光子は、1977年に敦賀市白木を訪れ、50代から70代の女性たちに月経小屋や産小屋についての聞き取り調査を行っている。 彼女たちが実際に経験した月経についての慣習は、神棚への供物の禁止、神社への接近の禁止、乗舟の禁止、月経期間中の1週間は食事を家の外でとらねばならないというものだった。 軒下や玄関先で食事をしていると、男児たちに指を差されたり蔑みの言葉を投げられたりして、「かなしかった」と回想している。 当時すでに月経小屋に隔離されることはなくなっていたが、月経期間が終わると湯を持って小屋へ行き、身を清めなければならなかった。 月経中だからといって労働が軽減されることはなく、家事育児、肥料を担いでの山越え、鍬を振り上げての株抜き、畦作り、水汲みなどを普段どおりに行った。 また、「月経中は穢れているので、海神の怒りを買う」という理由で、戦前は全国的に見られた乗舟禁止の慣習が、白木では戦後も続いていたため、普段であれば舟でいける場所へ、月経中は荷物を背負って山を越えなければならなかった。 月経小屋の慣習について、「日々の重労働から解放され、体を休めることができた」「人目に触れなくなることで、経血の流出に煩わされずに済んだ」「女性だけが集まる場所で、性についての知識を継承することができた」という肯定的な見方もあり、実際に、「タビグラシ(他火暮らし・月経小屋で過ごすこと)が楽しかった」という記録もあるが、少なくとも白木には当てはまらない。 他文化を尊重すべきという立場から、こうした慣習について云々すべきではないという意見もあるが、そこに不浄視や差別が存在する以上、「文化」とは呼べない。

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